喫茶店
2006-09-29別に中毒というほどじゃないけど、珈琲をよく飲む。
子供の頃に「あれは大人の飲み物だから」と飲ませてもらえなかった反動だろうか。
今のように自販機やコンビニ、ファミレスがなかった時代、喫茶店にはよく通った。
学生時代、大阪・梅田にある丸ビルの向かいあたりに「優」という深夜喫茶があって、
毎週土曜日の夜はバンド仲間が集まって騒いでいたんだ。
今の人は「オール」というとクラブらしいが、俺たちの「オール」はその喫茶店かリハーサルスタジオだった。
よくCP(YAMAHAのエレピ)の下で眠ったものだ。
商業地の再開発とかで立ち退きを余儀なくされたときはみんなでフェアウェルパーティをやったっけ。
平日によく通ったのが「アルペン」。
「アルペン」はその名の通り、登山愛好家が集まる店で、
店内は山の写真やランプ、カラビナ、ハーネス、アイゼン、ピッケルなどの用具が飾られていた。
昔の小学校にあった木製の机と椅子で大して旨くもない珈琲を飲む。
それでも客が絶えないのは、みんな珈琲が目的ではなく、そこで店主と会話しに「帰ってくる」のだ。
店主はおばあさんで、若い頃につきあっていた人が山で遭難したらしい。
店を開いたのは「彼がいつか帰ってくるかもしれない」からだそうだ。
店のドアを開けると客は「ただいま」といい、おばあさんは「おかえり」という。
客が帰るときは「じゃあ行ってくる」「気をつけて帰ってくるんだよ」。
そういうのを体験していると、メイドカフェなんて行く気になれないなぁ。
社会人になっても、昼休みには必ず喫茶店で珈琲を飲んでいたし、
出先でも打ち合わせで使う機会は多かった。
最近は本当に喫茶店って減ったなぁ…
今の職場では、いつも通えるような喫茶店が近くにないのが寂しいな。
漫画に出てくる憧れの喫茶店は「750ライダー」の「ピット・イン」と、「軽井沢シンドローム」の「ら・くか」。
喫茶店のオーナーって気楽でいいな。実際は大変だろうけどw
パスタな想い出
2006-09-23昔々、子供の頃(多分小1ぐらい)、母親が出かける際「これで好きなものを買って食べなさい」と
昼食代として1000円くれた。
当時の1000円は…っていうか俺にとっては大金だった。
お年玉でも500円札がフツーで、1000円もくれたら満面の笑みで「おじちゃん、ありがとー」もんだった。
とりあえず出費を最小限に抑え、残りを小遣いにすべく俺は家を出た。
さて、その1000円を握りしめ近くのスーパーへ。
馴れない大金を持っていることと何を買って食べようかで心臓は16ビートw
シンコペーション(不整脈)までは入ってなかったと思う。
飢えたオオカミ(実際は子豚ちゃんw)のように獲物を求め、売り場を何回も回って食べたいものを探す。
お惣菜コーナーには子供の好きなマカロニサラダをはじめとするマヨで味付けした各種サラダや
唐揚げ、天ぷらなどが並んでいて、目が釘付けになる。好物ばかりがそこにあるのだから無理もない。
もう少しでイカリングフライに手が届くか、というまさにそのとき天の声が聞こえた。
「それは今すぐに食べることができるが、1パックだけじゃ量が足りないだろう。」
「たくさん買ってもいいが、小遣いが無くなってしまうぞ。それでもいいのか?」
俺は伸ばした手をひっこめ、再び売り場をまわりはじめたんだ。
そしてついにある場所に辿り着いた。スパゲティの乾麺が山のように積まれていて
いくらだったかは忘れたが、特売だったような気がする。
「これだ!!やっぱりこれしかないんだ!」俺はそいつを手に取った。
300gって書いてある。
…以前、母親と買い物について行ったときのことを思い出した。
別の店でポテトサラダを300g買い、それが夕食に並んだとき、
俺は旨い旨いと言いながら、両親の分まで平らげたんだっけ。
「よし、これなら一袋買うだけで他はなにもいらないな。」
そう確信して俺はゆっくりレジのほうへ歩いていった。
家に着くと早速調理開始。
だが、そこはやっぱり子供。作り方がよくわからない。
とりあえず袋の裏面に書いている通りに麺を茹で始めた。
次はソースだ。
しかし、頼みの綱の袋にそんなレシピが書いてあるはずも無い。
あ た り ま え だ w
どうしよう…悩んだ俺はある結論に達した。
玉子かけごはんが好物だった俺は、あれと同じ手順で味付けすりゃいいんじゃないか、と考えた訳だ。
和風カルボナーラであるw
今でこそパスタの定番メニューだけど、30年以上も前には日本中どこを探してもなかったはずだ。さすが俺w
そして茹で上がった麺を大皿に盛り、たまご2個と醤油を…
「いただきま~す」
買い物という冒険乗り越え、調理における苦悩を経て
裏切りのない完璧な味付けwに俺はちょー感動しながら食べ…
…ていたのだが、食べても食べても量が減らない。
あ た り ま え だ w
茹でたら量が増えることを誰も教えてくれなかった…
とりあえず根性で食べきった。
夜になって腹をこわして両親に笑われた。
あ た り ま え だ w
今でも時々パスタを作る。さすがに和製カルボナーラではないけどw
あのとき残った小遣いは何に使ったんだろう…
あーしんど。
2006-09-22連日深夜残業…心に余裕がないなぁ。
メインで使っているマックはただいまバックアップ中。
毎晩夜中の2時になると自動的にやってくれるのだが、遅くまで仕事しているときはすんごい邪魔。
作業を中断しなくちゃならないのが厭でソッコーでキャンセル!
そんな日が何日続いた?
今夜はそれまで溜まった分をたっぷりバックアップしなくちゃ…
時間かかるんだろーなー…orz
zigen daisuke
2006-09-14誰かさんが授業中に落書きしていてw
次元が好きだと言うことがわかった。
俺も好きなんだよなぁ…
いつも持ち歩いているバッグに付けているキーホルダーが次元なので
ちょっと撮ってみた。
意外にイイできかもw
最近の若い子は…
2006-09-12女の子のスカートの中ってどうなってるんだろう?
なんて岡村ちゃんじゃないけど男子はみんな興味をもっている。
中学時代、後輩のスカートめくりはよくやったもんだw
近頃の子供達はそんなことあまりしないらしい。ゲームやフィギュアのほうが夢中になれるそうだ。
ま、否定はしないけど去勢された♂は魅力無いけどな…
「萌え~」た感情の出口がどこに向かっているんだか…
ところで…俺の勤める会社は山の中なので朝晩は結構気温が低い。
そのせいか自転車通学している女子達の多くがスカートの下にジャージを穿いている。
ま、それは俺の学生時代にもよくあったことだ。
スカートめくりの対策もあったろうが、その後「スカートめくり&ジャージ下ろし」という荒技を生み出すきっかけにもな…いや、そんなことはどーでもいいw
別にこの歳になってパンチラが好きという訳ではないので
下にジャージを穿こうが、毛糸のパンツを穿こうが知ったこっちゃない。
でも、いくら下に穿いてる、パンツ見えてないとはいっても
スカートをまくり上げたまま自転車こいでる姿はあんまりかっこよくないなぁ
スカートの裾を気にしつつっていうのがほほえましい。
恥じらいがなかったら女の子じゃないよ。
サンマ
2006-09-08サンマ…シーズンですな。
俺の中でサンマとサバ塩はいつも戦っていて、大体サンマが勝つ。
そしてサンマが食卓の上ると、他の物には目もくれず、一気にサンマだけを食らいつく。
添え物の定番、大根おろしや、すだち、醤油さえもかけずに、だ。
内臓や身はおろか中骨もガシガシいく。
残るのは頭と尾だけ。
純粋にサンマだけを完全に味わった後でごはんに箸が向くのだ。
当然、おかずはない。
ごはんと味噌汁と漬け物だけのささやかな食事。
しかし、食べきったばかりの余韻にひたりながらごはんを口に入れると、まだ口の中に残っているサンマの脂がごはんとからまってサンマご飯に!
醤油を数滴たらしたくなる気分を押さえつつ、味噌汁で流し込む…まさに至福の時!
心の中はスタンディングオベーションだ!!
最近、本当に新鮮なサンマに出会えていない。
スーパーで売られているサンマは腹が美味しくない気がする。
かなり前にある漁港近くの店で食べたサンマづくし(焼いたり、刺身にしたり、すり身を揚げたり)が、忘れられない…
その時の塩焼きの腹は全然苦くなかったなぁ。
頭と尾しか残さなかった俺に店の主人は「そんなに好きなら」と、もう1尾焼いてくれた。
親父の一番長い日。3
2006-09-06ようやく病院に着いた。
駐車場に乱暴に車を押し込み、総合受付で親父の居場所を確認する。
「救急センターの3番窓口に言って下さい。」
ソファーに母親が座って待っていた。
冷静さを取り戻していたのだろう、もう泣いてはいなかった。
彼女は親父が倒れた経緯を説明する。
思い出したくもない光景を伝えなければならない、その辛さを俺は忘れてはいけないと思った。
何のため、という訳でもないけど。
「処置室にお入りください」というアナウンスが流れた。
医師の説明を受けなければならない。
部屋に入ると担当医が撮ったばかりのレントゲンを前で眉間にしわを寄せて座っていた。
「まず、緊急に手術を行う必要があります。」
彼は説明の前にいきなりそう言った。
俺と年齢はあまり変わらなさそうな、小太りの男だ。
彼は紙に内臓の位置を示す絵を描きはじめ、
食道から肛門に至るまでの消化器官系の解説まで喋った。
「わざわざ説明してくれなくても、そんなことは誰だって知っていることじゃないか」
親父の一番長い日。2
2006-09-04親父は原付バイクで通勤している。
勤め先に行くには幹線道路を走らなければならない。
巻き込み事故にもあったのだろうか。
普段は冷静で、少々のことでは動じない母親が泣きながら電話してきたということは、かなりのダメージがあるのだろう。
生きていないかもしれない。
そんなことを考えているうちに信号が青に変わった。
ハンドルを切る手が変に汗ばんでいた。
いくらも進んでいないのに車がまた止まった。
俺は煙草で気を紛らわせようとしていた。
無意識のうちに出てくる不安な気持ちを吐き出すために煙草の煙を思い切り吸い込む。
「まだ孫の顔どころか結婚式にも出てねーじゃねーか」
親父の一番長い日。
2006-09-04先週の金曜日、会議中の俺に家から電話がかかってきた。
母が泣きながら病院に行くようにと。
詳細はわからない。
ただ、親父に何かあったことだけは理解できた。
しかもかなり悪い状況だということも。
俺は急いで会社を出て、車に乗り込んだ。
運転しながら数日間の仕事の段取りを指示する。
ひょっとしたら一週間は出てこれないかもしれないからだ。
「そんなに大声出さなくても聞こえていますよ。」
電話の向こうでスタッフが言う。
冷静なつもりだったが気が立っていたのか。
「ああ、こんなところで焦って事故でも起こしたら大変なことになる。」
時計を見ると2時を回っている。
いつも使う道が混雑する時間帯だ。
回り道することも考えたが、そこが渋滞していないという保証もないので、そのまま進んでいくことにした。