昨日、昼食に海老フライ定食を食べた。
正確に言うと「食べさせてもらった」のだけど。

暫く前に、同僚が会社を1週間休まなければならなくななり、
その間の彼女の仕事を俺が引き受ける事となった。
だから昨日のランチは彼女からのお礼のしるしって訳だ。

まぁ引き受けた仕事のボリュームがそんなにヘビーではなかったから、
1,000円もするランチ(俺のいつものランチは160円w)を奢ってもらう程でもなかったんだけれど、
彼女が「是非に」と言ってくれるので、甘えさせてもらった。

海老フライを口にすると、必ずと言っていい程、あの記憶が甦ってくる。
今から30年以上も前の事…

俺が子供の頃、母親はどこかに行ってしまっていて、ずっと独りで過ごしていた。
勿論父親はいたが、朝早く出かけ夜遅く帰って来る仕事だったので、
幼稚園から帰ってくると、鍵を持たされていない俺は、家の裏に放置されてあったトラックの荷台の上で父親の帰りを待っていた。
でも本当に待っていたのは、父親ではなく、家を出て行った母親だったのかもしれない。

そんな俺を不憫に思って、というより(まぁそれもあっただろうけど)家の中の悲惨な状況をなんとかすべく父親は家政婦を雇う事にした。
彼女が来るようになって、家の中は片付き、決まった時間にちゃんとした食事が出るようになった。
彼女と一緒に食事を摂る事がどんなに幸せな事だったか。
それまでの俺の食事は、夜遅くに帰って来た父親が俺を連れ出して「赤提灯」や「赤暖簾」で済ませていた。
酔っぱらい達に混ざって酒の肴をおかずに飯を食っていた訳だ。

家政婦は初老の女性で、俺を孫のようにかわいがってくれた。
俺は彼女を「おばちゃん」と呼び、なついた。
過去の出来事は、時に美化され美しい思い出として記憶される事があるが、
おばちゃんが優しかったのは間違いないような気がする。

或る晩、出て行った母親を思い出し、泣きながらおばちゃんに我侭を言った。
今となっては何を言ったのかは覚えていないが、相当な事も言っていたのかもしれない。
おばちゃんは食事の支度の途中で、「火を使っていて危ないから、台所から出て行きなさい。」と珍しく俺を叱った。
ただでさえ哀しいとか寂しいと泣いているのに、おばちゃんからもそうやって叱られた事が面白くなくて、
俺はより一層大きな声を上げて泣いた。

暫くするとおばちゃんは何事も無かったかのように居間にちゃぶ台を置き、料理を運んだ。
おばちゃんが家に来てから初めて出た海老フライだった。
当時、海老フライをタルタルソースで食べるという発想は無く、最初からウスターソースがかかっていた。
不貞腐れてはいたが空腹の俺は食卓につき、「いただきます」も言わず黙々と食べ始めた。
食べている最中にしゃっくりが出て喉が詰まった。

おばちゃんは自分の皿から海老フライを一つ、空になった俺の皿に入れてくれた。
そしてこう言ったのだ。

「この海老フライを食べるとね、ちょっとの間だけど悲しい気持ちが無くなるからね。」

ようやく乾いたはずの涙がまた溢れ出した。

それから間もなくしておばちゃんは大人の事情とやらで来なくなった。
おばちゃんとの思い出はだんだん薄れていき、今はもうこのエピソードしか残っていない。
ただ、それだけでも何か大切なものをおばちゃんからもらったような気がする。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.