ほんまかいな
2007-04-30今何かと話題の(いや、もう終わったか)北海道夕張市。
ヤリキレナイ川って…
入水自殺の名所ってなことねーだろなw
北海道と言えば当店常連のみゆきさん、
なんでこんな名前なのか知ってる?
…知らねーか(^_^;)
さて、明日は免許の更新に行ってきます!
勉強熱心な俺は
ちゃんと講習を受けてきま…orz
だらだら
2007-04-30仕事?
やなこった。
知ったこっちゃねーよ。
てな訳でたいしたこともせず…
あんまり(いや、全然売れていない)演歌歌手のCDジャケットをやっつけで制作w
五島たかしなんて誰も知っちゃいねーってw
流石クラウンレコード!
連休終了
2007-04-29今日は朝から散髪に行く。
ラッキーな事に女性の理容師さんに当たった。
20代半ばの可愛らしい人でした(^o^)
カット、シャンプー、髭そりまでやってもらったんだけど、
どうやらまだ研修中らしく
ハサミ捌きがなんだかぎこちない。
襟足の長さを合わせ鏡で確認するときも、
メガネ渡してくれないと見えないやんか。
ま、面倒臭いから「それでいいよ」って答えたけどね。
午後からは食料品の買出しに。
しめさば買った。
三時から解体されるマグロが一本無造作に展示されてたけど、待ってられないから今回は諦める。
帰宅後、遅い昼食。っていうか買ってきたしめさばで一杯w
そして昼寝…(^_^;)
ある意味至福の一時。
さて、明日からまた仕事だな。
世間はGWですが、
GWって何ですか?
ここ数年縁がない…
さ、寝るか…
無題
2007-04-27飲み屋の帰りにコンビニに寄った。
カウンターの対面の陳列棚をふと見るとこいつが…
「御自由にお持ち帰りください」
素直にいただいてきました(^o^)
それがどーした、と言われれば
返す言葉がないっすけど…(^_^;)
朝が来て夜がくるだけの暮らしに
ほんの少しだけ癒しをくれた
Qooでした。
明日は久しぶりに休めるので
洗車に勤しむことにしましょう。
鳥フンも付いてたことだし…orz
ネオンに解き放たれるまで…
2007-04-27俺が二十歳から26ぐらいまでの間に通っていたスナック「ベル」
店のママは洋子ちゃん(普通のおばさん)といって、
あんまり水商売の女って感じのしない人だった。
朗らかでよく気がつく癒し系だったと思う。
そんな彼女の人柄もあって店にはいろんな客がきていて、
何人かのお客さんと名刺交換もしたりした。
例えば…
プランニング会社の社長さん(あやしいw)
バイク屋の店長さん
新聞販売店の配送員さん
医療機器製造メーカーの技術屋さん
楽器の販売員さん
証券会社の社員さん
エレクトーンのインストラクターさん
女性下着の販売員さん
運送会社の社長さん…
みなさん、当時の俺よりずっと年上で、よくかわいがってもらったな。
バブル景気の名残も無くなる頃になると
あんなに賑やかだった店も嘘みたいに静かになった。
洋子ちゃんは俺をカウンターの中に立たせて
自分はカウンターで呑んでいたりした。
水割りを作ったり、カラオケをセットしたり、おしぼりを渡したりしながら俺も呑んでいた。
高校生の頃、学校にも行かず場末のラウンジで働いていた事が
こんなところで役に立つとは思いもしなかったけど(笑。
客が帰るチェックの時はママにしてもらって
カンバンの後は、気心の知れた数人の馴染みと2時ぐらいまで呑んで、
そのままラーメンを食いにでることもあったし、
車でママをマンションへ送り届けてから帰る事もあった。
実は尾崎が亡くなってから俺は今の仕事を辞めた。
月に200時間を超える残業の上に、夜はそんな暮らしだったこともあって
肉体的にも精神的にも限界だった。
張りつめていたものが途切れ、叶いそうな夢が消えた。
俺が俺でなくなったし、
逆に俺じゃなかった俺が俺になったのかもしれない。
そして俺は「ベル」に通う事もやめた。
10年後…俺は再びこの業界にカムバックした。
自分の中でやっと喪が明けた気がした。
その10年の間にいろんな事が大きく変わっていて
それまで手作業で行っていたものがパソコンで行うようになり、
自由を与えられた代わりに、細部にまで自分の責任が問われるようになった。
そして今。
最近、昔の仲間と呑む機会があって、その時に「ベル」のことを耳にした。
洋子ちゃんは結婚して店をたたんだらしい。
俺が店に顔を出さなくなった翌年の暮れの事だったそうだ。
楽しい時も、辛い時も一緒に呑んだくれていた洋子ちゃん。
電車が走り出すまで店を開けてくれていた洋子ちゃん。
そして…
今も歌っているかい?
今度は…
2007-04-26写真週刊誌フライデー(5/11・18合併号)に尾崎の記事。
GW特別企画
没後15年、秘蔵フォト(父・健一氏が提供)で"伝説の生涯"を振り返る
尾崎豊「オレたちのカリスマ、その愛と死」
人には誰しも、「自由」と「愛」をひたむきに追う時期がある。
だが、全生涯をかけて、それを追求した男がいた。
尾崎豊。“若者のカリスマ”と呼ばれた男である。
この悲しいまでに「愛」に飢えた男の、全てを振り返る──。
実物は購入していないが、
モノクロ写真が十数点、尾崎家のアルバムに挟まっていたものが紹介されているらしい。
健一さんがご健在である、ということがわかり、
記事の内容よりもその事の方が嬉しく、安堵した。
尾崎の死後、数年間は11月と4月になると
必ずと言っていい程、尾崎本やCDをはじめとした関連グッズがリリースされた。
10年を過ぎると流石に落ち着いてはきたが
時折こうして目や耳にする。
その度に、哀しかったり、やるせなかったりするんだ。
彼が忘れられない事はいいことなんだけど
これ以上辛い想いをさせないで欲しいものだ。
71/71 POSTER
2007-04-25田島さんはなぜこの写真を選んだのか。
今回のリリースで、田島さんはどんなコンセプトを考えたのだろう。
71/71のジャケットやブックレットの表紙は卒業(尾崎をポピュラーにした曲ということで、そのジャケットで尾崎をシンボライズしたというとこなんだろう)と、尾崎ストーンの部分拡大(デザインの統一性)を使っていた。
シンプルでかつ分かりやすいデザインだと思う。
通常、メインとなるヴィジュアルがシンプルな場合、ポスターなどの付属物はちょっと派手というか凝ったことをする場合が多い。
なのにこの写真。
セオリー通り制作するなら、デビュー前から晩年までの写真を(出来るだけ多く)コラージュしてデザインするのだろうけど、
田島さんはあえてこの寂しげな写真をチョイスした。
確かに、哀しみや寂しさといった部分をモチーフにするのは間違いではないけれど、
何か別のメッセージを感じずにはいられない。
もしかしたら田島さんは今回の写真集出版に関してのサジェスチョンを
尾崎の表情を通して訴えているんじゃないだろうか。
そして更に言えば
尾崎自身が田島さんにこの写真を選ばせていたのかもしれない。
すこし前に尾崎がベースを抱えている写真について記事を載せた。
つい最近の事だけど、あの記事の原文を書いたのはもう随分と昔の事だ。
もし、もしも俺の書いたあの推測が事実なら
それほど求め慕った人にさえ尾崎は裏切られた事になる。
そう思うと本当に哀しくてやりきれない。
4.25
2007-04-25何年経ってもこの日は心が痛む。
普段、どんなに彼の音楽や映像に接していたとしても
この日ばかりは「彼がいない」事を痛感させられる。
彼がいない事をいい事に
心ない行為がビジネスの名の下に平然と行われる。
そしてそれを諸手挙げて喜ぶ輩達。
須藤さん、俺はあなたをやっぱり許せない。
あなたが切り刻んだのはただのシャツなんかじゃなく
彼の魂かもしれないんだぜ?
形見とはそういうものじゃないのか?
あなたが生きて行く為に何をやってもかまわない。
ただ、切り売りするなら、自分を売るべきだ。
あなた自身が血を吐き、涙を流して創作した物を売ればいい。
どうだ、できるか?
できやしないだろう。
ただでさえ胸が締め付けられる想いでいるのに
これ以上余計な事はして欲しくない。
他の誰でもない、あなたがしたことだからこそ
こんなにも哀しいのです。
今日の日を境に、俺はあなたと決別します。