「人ヲ好キニナルノニ、理由モ時間モ関係ナイ。」“君”は誰かの言葉をよく口にしていた。この街に出て来て3人目の彼も何処かのクラブで知り合ったと言っていた。店でも色んな客から冷やかされてばかりだけれど、今“君”は幸福で、誰に何を言われても笑ってばかりいる。ついこの間までしていた包帯も、彼からのプレゼントだという男物のブレスレットに替わっていた。けど、一つだけ質問に答えてくれないか?幸福な女を演じるのは疲れないか?指先のマニキュアが剥がれている所が紫に染まっているのに。本物の愛を探す手間を省く代償がそれだとしたら、淋しい女は何時までも淋しいままでしかない。僕には何も言えないけれど。

心を落ち着かせる為の様々なモノが沢山あって、でもまだそれを必要としている間はきっと人は孤独なんだろうと恩う。例えば100円で買える幸福と、100万円で買える幸福は、本当は等しいものなんだ。でも“君”は非日常的な幸福を手に入れたがる。自分自身は何も変わらないのに。

雑踏の中で片方のイヤリングを落としてしまった事に気付いた“君”は、困った顔をして「一緒ニ探シテ。」と言った。僕等はそれまで歩いて来た道を引き返し、立ち寄った店や、午前中は殆ど誰もいなかった(けれど、もう家族連れがまき散らすゴミで探し様の無い)動物園を行ったり来たりした。誰かからのプレゼントなのか、自分で買ったのかは知らないけれど、結局“君”は仕方が無いと諦めた。僕等はその辺りでお茶を飲み、帰った。それから1ケ月。残された片方のイヤリングを“君”はつける事は無かった。対となって初めて形を成すそれは、もう意味が無いものなのだろうか?ただ言えるのは、その残された片方のイヤリングは、『失くしてしまったもの』と、“君”に諦められてしまった、という事だろう。

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