久し振りに“君”を見つけた。ただでさえ寒いこの時期に、ビルの隙間風を独りで受けていた。声をかけると、遠い瞳をして微笑んだ。ポケットに突っ込んでいた手を“君”の頬にあてがうと、冷たい“君”の手が僕の手の上に重なった。そしてまた微かな微笑。僕の手の温もりは“君”を少しだけ満足させた様だ。
“君”が新しい土地へ移った事を知ったのは、珍しくこの街に雪が降った翌日だった。ひどい二日酔いを何とかさまそうと2杯目のコーヒーを飲み終えた頃にマスターがぼそっと言った。「マリアが消えたよ。」雪はもう夜のうちにやんでいて、鈍い陽射しがその殆どを溶かしていた。僅かに残った雪は泥と混じって歩道を汚している。「あの娘もこんな風に汚れただけだったのかね。」嘔吐感が一向に治まらず、僕は会社に電話を掛けて今日は欠勤する事を無愛想な事務員に伝えた。暫くはカウンターにうつ伏せていたが「そんなに酷いのだったら帰って休めば?」と言われ店を出た。トラックがもの凄い勢いで僕の前を通り過ぎた。灰色の空に向かってそっと呟いてみる。「例え汚れただけだとしても“君”の悲しみもこの雪の様にいつか溶けてしまえばいい。」工場のサイレンの音にかき消されても、僕にはもう、どうしようもなかった。
うつ伏せになって眠ると、“君”は決まって心臓に負担がかかる寝方はやめなさいと僕を叱った。“君”と眠る時、腕枕をしていても、“君”が寝静まってから僕はそっとうつ伏せになっていた。“君”がいなくなってからも、僕は変わらずうつ伏せになって眠っている。自分の心臓の音を聞き乍ら眠っている。
END