俺が二十歳から26ぐらいまでの間に通っていたスナック「ベル」
店のママは洋子ちゃん(普通のおばさん)といって、
あんまり水商売の女って感じのしない人だった。
朗らかでよく気がつく癒し系だったと思う。
そんな彼女の人柄もあって店にはいろんな客がきていて、
何人かのお客さんと名刺交換もしたりした。
例えば…
プランニング会社の社長さん(あやしいw)
バイク屋の店長さん
新聞販売店の配送員さん
医療機器製造メーカーの技術屋さん
楽器の販売員さん
証券会社の社員さん
エレクトーンのインストラクターさん
女性下着の販売員さん
運送会社の社長さん…
みなさん、当時の俺よりずっと年上で、よくかわいがってもらったな。
バブル景気の名残も無くなる頃になると
あんなに賑やかだった店も嘘みたいに静かになった。
洋子ちゃんは俺をカウンターの中に立たせて
自分はカウンターで呑んでいたりした。
水割りを作ったり、カラオケをセットしたり、おしぼりを渡したりしながら俺も呑んでいた。
高校生の頃、学校にも行かず場末のラウンジで働いていた事が
こんなところで役に立つとは思いもしなかったけど(笑。
客が帰るチェックの時はママにしてもらって
カンバンの後は、気心の知れた数人の馴染みと2時ぐらいまで呑んで、
そのままラーメンを食いにでることもあったし、
車でママをマンションへ送り届けてから帰る事もあった。
実は尾崎が亡くなってから俺は今の仕事を辞めた。
月に200時間を超える残業の上に、夜はそんな暮らしだったこともあって
肉体的にも精神的にも限界だった。
張りつめていたものが途切れ、叶いそうな夢が消えた。
俺が俺でなくなったし、
逆に俺じゃなかった俺が俺になったのかもしれない。
そして俺は「ベル」に通う事もやめた。
10年後…俺は再びこの業界にカムバックした。
自分の中でやっと喪が明けた気がした。
その10年の間にいろんな事が大きく変わっていて
それまで手作業で行っていたものがパソコンで行うようになり、
自由を与えられた代わりに、細部にまで自分の責任が問われるようになった。
そして今。
最近、昔の仲間と呑む機会があって、その時に「ベル」のことを耳にした。
洋子ちゃんは結婚して店をたたんだらしい。
俺が店に顔を出さなくなった翌年の暮れの事だったそうだ。
楽しい時も、辛い時も一緒に呑んだくれていた洋子ちゃん。
電車が走り出すまで店を開けてくれていた洋子ちゃん。
そして…
今も歌っているかい?