Maria 1
2007-04-16眠れない夜を抱いて、ただ暗閣の中で“君”の面影を探す。たった一分が一時間にも感じてしまう。歪んだ時空の中で発狂寸前の僕。今日一日に蓄積された出来事が“君”をブレさせる。一日を遣り過ごす事だけでも、こんなに疲れるなんて。自分の部屋でさえ、心落ち者く場所ではないなんて。
零細企業が密集しているこの街で、ひっそりオープンした喫茶店に“君”が勤めだしてもう半年になる。“君”の拙い日本語は、様々な土地の訛りが入っていて、“君”が喋るとそれまでに色んな思いをしてきたんだな、と恩う。或る日店が退けた後、珍しく“君”は僕を誘い、陽の落ちかかったバーガーショップに行った。“君”は今一緒に暮らしている男とあまり上手くいっていない、と言い、「昨晩モ喧嘩シタバカリ。」とグチた。そして、ショーパブで踊っていた時の事や、クスリも一通りやっていた事や、両親はもう死んでしまっていて、意見の合わない兄弟のいる祖国の事や、幾ら買っても飽きない貴金属の事や、朝早く起きなければならないのが辛い事を、中途半端に話した。暫くして、タ食の支度があるから、と“君”は席を立ち、油のまわったフライドポテトが散らばったトレイを返しにいった。バイクで“君”を送った時、“君”はずっと僕にしがみついていて、寒さに震え乍ら「アタタカイ。」と言った。過去と現在の事しか話さなかった“君”の笑顔は、いつも愛想笑いしている時の“君”より、ずっと奇麗だった。
僕には解ってしまう、“君”のポーズ。けれども“君”を拒絶する事は出来ない。決して騙されている訳じゃないけれど、互いに愛想笑いを交わし乍ら、これは本心ですよ、とばかりに話しかける。それぞれの帰り遣、“君”は電車の中で、僕は車の中で、言い様の無い疲労に包まれてしまう。次の休日に、再び逢う約束をしてしまった事を少しだけ悔やむ。淋しさが虚像の世界に僕を引っ張っていってしまう。クラッシュするまでそんな事を考えていた。“君”がまた独りになって3ケ月が過ぎていた頃の事だ。
前書きにかえて
2007-04-16♪君とよくこの店に来たものさ
訳も無くお茶を飲み話したよ
学生で賑やかなこの店の
片隅で聴いていたボブ・ディラン…
(学生街の喫茶店/作詞・山上路夫)
以前喫茶店の話をしたかもしれないけど、
通勤途中に聴いているFMから喫茶店の話題が流れていたので、
思い出した事を…歌とは全く関係ないけどね(笑
俺が26歳から30歳ぐらいの間に勤めていた会社の近くにある喫茶店。
元々は煙草屋だったのを娘が引き継いだ時に喫茶店にしたらしい。
娘といっても団塊の世代なので華やかさは無かったが…
珈琲と紅茶と昼のランチ。
あまり明るくない店内。
間違っても若い連中は来ない、そんな喫茶店だった。
仕事を終え店に立ち寄ると大抵ビールを出される。
その時入り口の「営業中」という札はひっくりがえしてある。
昼は喫茶店で、夜はスナック、というのはよくあるパターンだが、
その店はあくまでも「純喫茶」なのだ。
営業ではなく、プライベートっていうのが
久美さん(バーでもスナックでもないのでママと呼ばれるのが嫌らしい)の口癖だった。
久美さんは簡単なつまみからちょっとした料理(やきうどんかだし巻きが多かったけど…)も出してもくれるのだけど、勘定は千円を超える事は無かった。
ビール代にもなっていない。
完全な持ち出し。
まぁ、他の客からしっかりとっていたんだろうけど、
喫茶店だから無茶できるはずもなく…
よくあれで成り立っているなと思っていた。
仕事の愚痴も一杯訊いてもらったし、
金がない時も、催促無しのあるとき払いでいいと言ってくれた。
煙草が切れると
「うちは煙草屋だったから煙草は売る程あるんよ」と言いながら
新しいパッケージから1本だけ抜き取り、火をつける。
そして「残りはあんたにあげる」と手渡してくれたりもした。
ああ、そういえば「これ着なさい」って
自由業のオジサンが着るようなセーターをもらったこともあったっけ。
でも、何かをしてくれ、なんて一言も言われなかった。
俺が新しい事務所に移る事になった時、久美さんが初めて俺に注文してきた。
「休みの日に一緒に買い物に行きたい」と。
当日、大阪の中心地にある商業施設で待ち合わせ、ブティックを廻ったり、
靴やハンドバッグ、宝飾類を見て回った。
俺はそうやって振り回されることは覚悟していたけど、
これほど忍耐力と体力がいるとは思わなかった(笑
ランチもそこそこに久美さんは歩き回る。
でも、何も買わなかった。
そろそろ日も暮れようかという頃に
久美さんは俺に「何かプレゼントをしたい」と言い出した。
転職祝いと、その日一日付き合ってくれたお礼がしたいと。
今ならネクタイの1本でも買ってもらっていた方がよかったと思える。
別れ際、「遠慮しなくてもいいのに…」と言った久美さんの声が
やけに切なかった気がしてならない。
この店でいくつかのエピソードが生まれ
俺はそいつらをまとめて「Maria」を書き上げた。
もうとっくにここに載せていたと思っていたけど見つからなかったので
もう一度載せておこうと思う。
このエピソードに久美さんは登場してこないが
俺とMariaのやりとりを優しい目で見ていたんだ。
今日の読書
2007-04-15もう何度読み返したろう。
もうかなり前の事になるけど
半年間一切の関わりを断っていたことがある。
仕事を辞め、ずっと家に閉じ籠っていた。
昼間は雨戸を閉め切り眠り続け
夜はずっとテレビを眺めていた。
番組が終わり画面が砂嵐になっても眺め続けた。
家族や友人とも言葉を交わさず、ただただ自分と対話しようとしていた。
もう一人の俺はなかなか俺に心を開いてはくれなかった。
今になって思えば
それだけ同じ志を持った人の死は大き過ぎたのだろう。
彼女の早過ぎた死は何を残したのか…
読み返すたびに当時のことが思い出される。
なぁ尾崎、彼女は元気にやってるかい?
遂に来たか…
2007-04-15大阪市も指定区域での路上喫煙が禁止になる条令が施行された訳で…
今の所まだ見つかってませんけど、
バレたら罰金千円も取られるらしい。
だんだん肩身が狭くなるなぁ。
家か車の中でしか吸えなくなる日もそう遠くは無いな…
いつからか煙草のパッケージに警告分が載るようになったけど、
あれってそんなにキツい口調じゃなかったりしない?
外国は相当酷い事書いてあるらしいよ?
本気でスモーカーを撲滅したいんだろうね。
日本はなんでその辺が甘いのかと言うと、
税金が取れなくなっちゃうのが困るからだそうだ。
あの警告文を作成したのは厚生労働省じゃなく、財務省だとか…
昨夜は…
2007-04-14久しぶりに同僚の家に泊まった。
旦那さんは厭な顔一つせず迎えてくれる。いー人だw
いつもはただビールや酒を呑んで楽しく語らうのだが
なんだか変に盛り上がっちゃって
ギターとピアニカで昭和歌謡大全集w
夫婦揃って古い歌が大好きで
ま、だいたい今60~70歳ぐらいの人たちの青春の歌やね。
美空ひばりでも「川の流れのように」とかやんないもん。
「ひばりのマドロスさん」とかw
で、当時の若者達には「そんなん常識やん」とか言われそうだが、
歌本の中にいくつも「夢は夜開く」という曲があって
園まり、緑川アコ、ちあきなおみ、藤圭子がそれぞれ歌っている。
なんだ、カバーか…と思う君はまだ若い!w
曲こそ一緒だが歌詞がそれぞれ違ったりするんだな。
いやー知らなかったw
圭子の夢は~とか、なおみの夢は~と言われるのはそのせいやったんやね。
雨が降るから逢えないの
来ないあなたは野暮な人
ぬれてみたいわ二人なら 夢は夜ひらく(園まり)
せっかく咲かせた花だもン
大事にしましょういつまでも
雨に嵐に負けないで 夢は夜開く(緑川アコ)
十五、十六、十七と
私の人生 暗かった
過去はどんなに 暗くても 夢は夜ひらく(藤圭子)
やっぱ藤圭子はインパクトあるなーw
整理整頓
2007-04-13…あんまり得意じゃないなぁ。
ある程度散らかっていた方が落ち着いたりするし…
とはいえ、データ類はきちんとしておかないと
とんでもないことになるから一応はね…やってますけど、
今まで面倒臭いと思ってやっていなかった
このブログの記事を分類してみました。
なんだかんだ言ってもう10ヶ月…
よくまぁ続いているもんですな。
久しく見ていなかった記事やコメントを見て
つくづく感じてしまいましたが…
俺って本当にロクなこと書いていないねぇ…orz
皆さんのおかげですよ。
こうしていられるのも。
僕はいつでもここにいるから…
2007-04-13僕はいつでもここにいるから…
これってある意味すごい殺し文句だと思う。
「愛してる」よりも強烈かもしれないな。
あの長い歌は、この一言を伝えたいが為に作られたんじゃないか…そんな気さえする。
さて、怒濤の画像更新シリーズはこれでひとまず終了(笑
また"波"がきたらやりますけど…
毎日はあまりにも…
2007-04-12誰かのクラクション
毎日はあまりにも さらけ出されていて
街の素顔はこんなにも 悲しみに満ちてる
誰かと交した 言葉の一つ一つが
紛れゆく通り 見つめる僕の心 締め付ける
街の何処かで 誰かのクラクションが泣いている
現実という名の壁に はねかえり 心つきささる
形の裏側を 君が知るまでは
誰もが心のポケットに 行くあて捜し歩く
何故だろう 何を捜して
ビルの合間 街の影が優しく心に語りかける
“何を手にしただろう” 温もりの明りが
優しく揺れてる
少し聞いて 君は急ぐの
ピアノの指先の様な 街の明りの中
ほら 街に生まれよう
探し続けてる 素顔のままの愛を
飾らない君の 素顔の愛を 本物の愛を
毎日は君のせいじやなく 汚れていても
落書さえ雨にうたれて 時に流される
正確に時を刻むものが あるとするならば
心安らぐ君のリズムは かみあいはしない
街の何処かで 誰かのクラクションが泣いている
間違いが君の心を 孤独の世界にしても
ほらごらん 全てが君のものなんだ
街の暮しは ささやかな愛に包まれて
こんなにも 君が守る愛さえ
佇む時には 地下鉄の乾いた風の中で
“誰のために泣けるだろう”
大切なもの どこかに忘れた気がする
どこへ行くの 解らぬまま
ピアノの指先の様な 街の明りの中
ほら 街に生まれよう
探し続けてる 素顔のままの愛を
飾らない君の 素顔の愛を 本物の愛を
押し流され通り抜ける 街の改札に
照れながら 愛を口にする あの日の恋人
心から愛された事が あるかって聞かれた
一緒に捜してたものなら あった気がする
飾らぬ愛を 素顔の愛を 本物の愛を
飾らない君の 素顔の愛を 本物の愛を
words by Yutaka Ozaki
聴いているかい?
2007-04-12・lSM
たいぶ話をそれて 街明かり 照らされて
音のないTVの前 完壁さを求めて
君を疑うたびに 無意味に思えてくる
だiナどチャンネルは同じさ 這いつくばった夢の前
大抵は今日が何の日かさえも わからない
愛したい 愛したい 愛したい 愛したい
腹が満たされている 熱で魘されている
貪欲のボリユームを 上げたり下げたりして
かわるがわるの君と俺が踊り続ける
ある事無い事言っても 君が正しい訳じやない
俺が失くした俺だけのものを… 慰めて
愛したい 愛したい 愛したい 愛したい
本当の意味が解らない
君が祈ると言ってくれたよね
お陰で今でも信じるだけで… 幸せさ
愛したい 愛したい 愛したい 愛したい
君の求める何かが 何かが足りないのさ
このリズムの中では 失うものはないさ
君の求める何かが 何かが足りないのさ
このリズムの中では それ以上解らない
君の求める何かが 何かが足りないのさ
このリズムの中では 失うものはないさ
君の求める何かが 何かが足りないのさ
このリズムの中では それ以上解らない
words by Yutaka Ozaki
elmoflex
2007-04-1235mmカメラってピンとくる?「写ルンです」から「一眼レフ」までの殆どを指すんだけど、35mmというのはフィルムのサイズのことなんだよね。
で、このフィルムのサイズというのは実はいろいろあって、昔懐かしポケットカメラ用(8×11mm)から、小型カメラ用(24×36mm)、中型カメラ用(56×56mm)、最も大きなもので200×250mm、全部で28種類のフィルムがあるのね。
田島さんの写真で真四角の黒いふちの着いた奴が6×6判って言って、中型カメラ用(56×56mm)のフィルムを使っている訳。ハッセルブラッドっていうスウェーデンの高級カメラで撮ってる。俺も一時期、中型カメラ(勿論国産w)で撮っていた事があったけど、確かにいい写真があがるんだけど…重過ぎてロケーションには向かなくて。仕方なく35mmを使うようになったんだ。ま、おかげでライブの写真を撮る時にはフレキシブルに動けたけど(笑。
その昔、一眼レフもバカチョンもなかった頃、カメラと言えば二眼レフカメラだった。フィルムは6×6判。健一さんが撮った写真で四角い奴は二眼レフカメラで撮影されたもので、康さんが生まれた1960年に購入したエルモフレックスという国産カメラだ。エルモフレックスは1950年頃までしか生産されていなかったから、健一さんは質屋か骨董品屋さんで見つけてきたのかもしれない。以来15年間、健一さんは家族をそのファインダーに納める事になる。親子で登山した時や、海に行った時、卒業式や入学式など、尾崎が一番多感な時期をエルモフレックスはまっすぐに記録してきたんだろうな。残念乍ら、1975年6月16日、靖国神社を参拝した際、誤って落としてしまい使用不能になったそうだが…。
尾崎は自分でも写真を撮っていたし、数えきれないくらい撮られてきたから、チョイスする時にはどれが収まりがいいか、感覚的にわかっていたと思う。ライブの写真は別としても、スタジオで撮影される時は頭の中に真四角のイメージを描き、その中にどうやってポージングすればベストなのかをある種計算してカメラの前に立っていたんじゃないだろうか。
子供の頃からそのフレームに収まる事は恐らく得意中の得意だったはずだから…(笑