女が仕事を終え部屋に戻ってきた。
無言のまま浴室に入りシャワーを浴びる。
街はようやく目覚めようとしていた。
昨日の夜から降り出した雨音と
シャワーの流れ落ちる音だけが部屋を包んでいる。
男もまた無言のまま、その音をじっと聞いている。
女の為に作っていた料理をどのタイミングで温め直せばいいかをぼんやり考えていた。
おそらく女は濡れた身体を拭かないままバスローブにくるまり
冷蔵庫のヴォルビックを一口か二口飲んで
ダイニングテーブルに突っ伏して男の料理を待つのだろう。
その間、男と女の間に会話は無い。
女は女でその日の出来事を話す程おめでたい人間ではないし、
男も男で煙草を買いに行く以外何もしていないから話す話なんて持ち合わせていなかった。
もうずっと長い間二人の間に会話はなかったが
それで揉めたとか愛想が尽きた、という事では決して無かった。
男が女の部屋に転がり込んで既に半年が過ぎていた。
男は女が働いている店に泥酔して入ってきた。
勿論すぐに店の強面がたたき出したのだが、
女が仕事を終えて店を出たとき、まだその場所でくたばっていたのを
女が連れ帰ったのが始まりだった。
男は自分を「セン」といい、それまでの過去を一切口にしなかった。
だから女も自分の本名は言わず「マリア」と今の店で使っている名前を言った。
センは無口だがマリアが最も苦手とする家事を淡々とこなした。
料理の腕も悪くない。
何より、自分の事をあまり干渉してこないのが心地よかった。
センは一般的に言うと主夫とかヒモとか言われそうなものだが
マリアはそんなことを考えた事も無かったし、セン自身も気にもとめていないようだった。
女がバスルームから出てきた。
長い時間をかけて洗い流したものは疲れだけではないのだろう。
短いため息をついたあと、冷蔵庫の扉を開け、ヴォルビックのボトルを取り出す。
冷気が火照った彼女の頬に当たる。
男は既に小さなキッチンに立っていて
昨日作った野菜のコンソメスープを温め直している。
今は外の雨とガスコンロの火の音と鍋の音しかしていない。
不意に女がダイニングテーブルに突っ伏しながら「ねぇ、」と言った。
男は黙ったままで女の方に視線すら向けなかった。
「ねぇ…」もう一度女が言う。
「食事が済んだら出かけない?」
男は暫くの間黙っていたが、スープをよそいながら
「今日も一日雨だけど…」少し口ごもってつぶやく。
「大丈夫だよ。傘ならあるんだし。」
女は身体を少し反らして
玄関の扉に立てかけた、まだ濡れたままの傘を見て少しだけ笑った。
maria(ナナコさん)の作品「Maria」にインスピレーションを受け、続編を勝手に書きました。
http://blogs.yahoo.co.jp/violet_maria_maddalena/23518395.html