八方美人はいけないよ、と誰かが言う
でも誰も傷つけたくないし、傷つけられたくもない
時々こみ上げてくるやるせない怒りに暴れそうになる

子供の頃、父親は不憫な息子をかわいがった
けれどそれは単に猫かわいがりなだけで
自分の機嫌が悪いときは平気で殴りつけた

ある程度成長して体も父親とたいして変わらない様になっても
ことあるごとに殴られ続けた
応戦すれば倒す事ぐらい簡単だったのに
それはしてはいけないように思っていた

そんなとき甘えられるはずの母親はいなかったから
優しさとか慰めとか
そんなものはどんなに欲しくても願っても与えられなかった

誰かが傷ついたとき
手を差し伸べることは
幼かった自分自身を抱きしめるような気持ちになる

誰かが孤独を感じたとき
話を聞いてあげることは
トラックの荷台の上で戻らぬ母親を待つ俺の遊び相手になったような気持ちになる

自己満足とか優越感の為じゃなく
ただ誰からも愛されなかったかつての自分自身をいたわるように

愛されたい気持ちがなくならない

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