戦場にて…
2011-06-06愛が染み込むまで…
2011-06-05僕の経験則にしたがって、結論から言いますと弦高が高いのはどうしようもありません。
僕も「クラシックギターをもう一度始めたい」、と思い至って、父が、近くの公民館から古ぼけたクラシックギターを持ってきてくれたとき、彼(今部屋の押入れに入っている古ぼけた第二次クラシックギターブームの火付け役の彼)も、手の施しようのないぐうたらでした。
何とか彼に、僕と時を共に過ごす手伝いをお願いするべく、ペグを変えたり、弦を張り替えたり、表面を磨いたり、したのですが、弦高だけはどうしても改善のしようがありませんでした。クラシックギターは、結局のところ、安物であればあるほど消耗品なので(そして安物であればあるほど乱暴に扱われるので)、例えば、湿気の多い日に、外にほおって置かれたり、湿度の極端な変化などで、或いは歳月の経過によって、ネックが内側に歪んでしまうのはしょうがないんです。
安物だからと言って、大切に扱えば、そんなふうにはならないんですけれども、「そうなってしまった安物」に施す手立ては有りません(絶望的に)。
でも弦高が高くても、愛する事は出来ます。(ちょっと詩的ですね)
弦高が高くても、ちょっとくらいフレットの磨り減りで音程が、外れていても、愛する事は出来ます。
そのためには…。「他のクラシックギターに浮気しない事」です。
愛が磨り減るまで、愛が、染み込むまで、浮気しない。これ一番肝心なんです。
書籍の「星の王子様」の中で、きつねが、王子様に、「お願いだ、僕を飼いならしておくれ」とお願いするくだりがあります。詳しくは書きませんが、とにかく、ここで言う「王子様」は相対的に、僕、或いはますたーで、「きつね」は、その古ぼけたクラシックギター、という事になるのではないか、と思うんです。
この話に落ちはありません。
何故なら、それが僕のクラシックギターに対するスタンスだからです。では。
せんたろーより
SUZUKI VIOLIN CLASSIC NO.36
2011-06-03頂き物のこのギター、残念ながら木曽ものではなく名古屋ものです。