今から46年前の今日、
ちよこさんは臨月の腹をさすりながら出産までのカウントダウンの中、
何を考えていたんだろう、と思う。
ちよこさん、当時24歳。
若いだけに喜びより不安の方が大きかっただろうけれど、
彼女の腹の中にいる自分が知る由もなく。
ちよこさんがどんな人だったかは、もう殆ど覚えていない。
僅かなエピソードを断片的にしか覚えていない。
過去の記憶なんて自分の都合のいいように書き換えられてしまうから
本当の事かどうかも定かではない。
赤ん坊の俺を抱くちよこさんの写真があってもいいはずなのに
1枚も残っていない。
俺が物心ついた頃にはもうちよこさんはいなくなっていたので
大事な時間がすっかり切り取られてしまっている。
今、ちよこさんと俺を結ぶものは
小さな桐の箱に入ったへその緒だけが俺の手元にあるだけだ。
赤ん坊に授乳するのは単に栄養を与えるだけではない。
それと一緒に安心感や信頼関係を育むためでもある。
一緒に接している時間が極端に短かったちよこさんと俺は
どんなやりとりをしていたんだろうか。
俺はどんな子どもだったのだろうか。
俺は聞き分けのよい子どもだったのだろうか。
俺は望まれて生まれて来たのだろうか。
ちよこさんと別れて40年以上経った今では確認しようも無い。
俺、明日、46歳になるよ。

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