あー疲れた。
先日「625」を観た、と書いた。
板では大阪の完全版を望む声が多いが、
ある意味、俺は「625」があるからいいんじゃないか、とも思う。
どんなものになるかわからないけど
尾崎の成長していく様を撮りためていく。
どんなに小さな出来事も
どんなに大きな出来事も
それはただの通過点に過ぎない。
主人公がこの世を去ってはじめて
どんなに小さな出来事も
どんなに大きな出来事も
意味を持つことになるのだろう。
そう言った意味では佐藤輝が尾崎の死後にこのフィルムの編集をしたら
もっと違う物になっただろう。
ひょっとしてもっと売れたかも知れない。
ただ、もしそんなことがあり得るのなら
きっと作為的な匂いのする
(俺にとって)気持ちの悪いものになっているかも知れない。
「625」は佐藤輝にとって「作品」かもしれないけど
「625」は俺にとって「尾崎の記録の断片」であってほしい。
そんな18万4千250人分の想いが集まって生まれたものだから…
なんか意味不明の文章だな、こりゃ。
ま、でもいいのだ。
因みにこの画像は
「625」の署名活動に加わってくれた一部のファンに
配布されたカードに載ったもの。