OZAKI

2019-04-18

随分と長い間尾崎を聴いていない。
充分に、いや充分過ぎるほどオッサンになった今の自分に
彼の音楽はしんどいのかもしれない。

ただ、少し前に見城氏・須藤氏・田島氏・鬼頭氏が尾崎について語る番組をつい観てしまった事が呼び水となったのかこの雑誌も手にしてしまった。

今更…と思いつつもページを捲るとやはり感じるのは時間の経過だ。
彼が生きた時間より亡くなってからの方が長い時間が経っている。
彼の息子もとっくに彼の年齢を追い越している。

「自由になりたくないかい?」との問いかけに胸が焦げ付かなくなってしまった。
チコちゃんの「ボーッと生きてんじゃねぇよ!」にはドキッとするけど。

平穏な4.25

2014-04-25
今日4月25日は尾崎豊の命日。

もう22年経ったのか。
今までこの時期になると、変に心がざわついて、
いてもたってもいられない気持ちになったものだが、
今日のこの平常心はなんだろう。
いつの間にか、或る意味、彼から卒業していたんだろうか。

命日

2012-04-25
今日は尾崎君の命日

もう20年なんだよなぁ…

時間が経つのってホント早いもんだね…

ノート

2012-04-05

いよいよ明日発売となった 尾崎豊「NOTES 僕を知らない僕 1981-1992
彼の死後、何度か「創作ノート」の複製が出た事はあったけれど
こうして纏まったものがリリースされる事は
全ての彼のファンにとって喜ばしい事だと言えよう。
20年経ってもこうした動きがある事に素直に感謝したい。

わざわざ発表せんでも…

2012-01-11
果たしてそうなのか?

尾崎豊の再評価が不要な理由
ニューズウィーク日本版 1月11日(水)11時33分配信
冷泉彰彦(作家・ジャーナリスト)

アメリカには成人式というものがありません。18才で法的に成人する若者に、社会全体で期待をしたり説教をしたりという習慣はないのです。成人式的なメリハリは宗教が担っているという理由もありますが、もしかしたら世代ごとに世界観の論争をしたり、反抗と抑圧の抗争をしたりというカルチャーが弱いからかもしれません。そもそも核家族イデオロギーが機能する中で親子が比較的仲が良いということもあると思います。それがアメリカの強さと弱さを輪郭づけています。

そんなアメリカとの比較で言えば、日本から聞こえてきた成人式の日の「今の若者に尾崎豊のような反抗を期待」するという朝日新聞の社説と、その社説を批判した常見陽平氏の『「成人式はバカと暇人のもの」若者に「尾崎豊」を強制するのはやめなさい』というアゴラの記事を巡る論争は大変に興味深く思えました。

尾崎豊と言えば、校内暴力の時代の「反抗カルチャー」の象徴とされています。常見氏は別の場所で尾崎のラブソングには一定の評価を与えていますが、それはそれとして尾崎の多くの歌詞が80年代後半から90年代にかけての「若者の反抗」というカルチャーを代表しているのは事実でしょう。

日本が最も豊かであったあの時代に、どうして校内暴力の反抗が起きたのでしょうか? そこには2つの理由があると思います。1つは、日本が高度成長から二度の石油ショックを乗り越え、自動車と電気製品を中心に輸出型ビジネスを大成功させる中、ようやく「豊かな社会」を実現したという時代背景です。物質の豊かさは精神の豊かさ、つまりより高度な抽象概念への関心や、より高度な付加価値創造への欲求へと若者を駆り立てたのです。

ところがそこに、教育カリキュラムとのミスマッチが起こりました。教育カリキュラムはせいぜいが「前例を疑わない官僚」や「主任教授の忠実な弟子である研究者」「代々受け継がれてきた職人的な創造者」などをエリートとして養成しつつ、多くの中間層に関しては定型的な労働における効率を追求する人材育成のプログラムしかなかったのです。

つまり、若者の中には無自覚ではあっても「その先の社会へ」と進むモチベーションが高まっていたのに、教育がそれに応えなかったのです。やがて、ずいぶん後になってから「ゆとりと総合的学習」などという半端なコンセプトが提出されましたが、基礎訓練を強化した上で抽象的な概念のハンドリングへ進むのではなく、基礎訓練の劣化を伴いつつ指導者の育成もせずに「総合」などというのでは破綻するのは当たり前でした。

ちなみに、この「ゆとり」に関して言えば、前思春期には基礎を叩きこんで、思春期から先に抽象概念にチャレンジさせるという定石も外していました。実際はその反対だったのです。前思春期に「おままごと」のような「総合」をやらせておいて、思春期以降は「受験勉強」に戻って定型的な訓練と規範への盲従を強いるという、まるで人格を成長「させない」ようなプログラムになっていた点も厳しく批判されなくてはなりません。

もう1つ、校内暴力の背景にあったのは教員の質の低下でした。80年代の世相の中では、「利害相反の中でコミュニケーションの仲介をする」という当たり前の社会的行動を「忌避する」タイプが多く教員になっていったように思います。バブルの拡大を前にして「ビジネス志向」の若者が企業社会に飛び込む中で、「そうではない」タイプが教壇を目指したのです。

拝金主義を嫌って本質的な人格育成を担う志があるのならまだ良かったのですが、利害相反の調整行動を「イヤ」だ「辛い」というタイプを教員にしたのは間違いでした。世代間のカルチャーがどんどん変化する中で、教員に求められるのも「高度な利害相反の調整能力」であったのです。そのスキルのない教員には、生徒の「変化への衝動」や「権威への疑い」に対処できるはずはありません。

そこで当然の帰結として管理教育が導入されました。管理教育というのは、強者ゆえに管理に走るのではなく、無能な弱者ゆえに細かな規則などによる管理でしか学級運営(クラス・マネジメント)ができない、教育のレベル低下であったのです。原理原則を軸として柔軟な価値判断や現実的な紛争調整をすることができない無能な教員が、生徒の「変化や破壊の衝動」を圧殺するという悲劇が繰り返されたのでした。

尾崎は少なくともこの点は見抜いていました。その意味で歴史的な意味合いはあると思います。ですが、20年を経た現在、この点で尾崎を最評価しても何もならないと思います。

1990年の時点では「高付加価値」や「抽象概念」が扱えない大人には、反省はまるでありませんでした。自分たちが日本社会を「先へ進める」ことを妨害しているのに気づかず、過去の成功体験や代々受け継いできた訓練ノウハウを疑うこともしない彼らに対して、当時の若者が激しい異議申し立てをしたのは当然だと思います。

ですが、現在は時代状況は違います。今、日本社会が直面しているのは一種の撤退戦です。国際競争の中で負けた部分を放棄しながら、何とか生き残るために必死に戦うというのが、現在の「大人」の姿ではないでしょうか? そこには豊かさの中で変化を圧殺し続けた1990年の時点での「大人」のような罪深さはないように思うのです。今、必死で生きている日本の「大人」に対して、日本の若者に「反抗せよ」というのは正義ではないと思うのです。

勿論、生きるために必死な人間が「下の世代にフレンドリー」だという保証はありませんし、下の世代からしても「現実の中で必死な姿勢の全てが尊敬に値する」わけではないと思います。必死である大人は、時として若者の利害も踏みにじろうとするでしょうし、撤退戦に必死な姿をマネしているだけでは生き残ることも難しいからです。

若者は若者で、困難に満たされた社会、危険と隣り合わせの現実社会の中で、成熟した防御の感覚を備えているのだと思います。現状に満足かと問われれば、とりあえず「イエス」と答えておくその姿勢の防御的な成熟には、「その先へ」と進んでゆく可能性も感じられるのです。そうした若者には「戦略なき反抗」な
どという破滅志向はないのであり、それはそれで正しいのだと思います。尾崎の歴史的意義はあるにしても、再評価は不要というのはそういうことです。

ほう、そうですか。
だらだらと文章書いて悦に浸ってらっしゃる?
この方の書いている事の大筋は間違ってはいないと思います。
ただそれは社会情勢が変化しているということと
それによって人の感じ方が変わったぐらいのことで
でもそりゃ30年近く時間が経っているんだから
そんなの誰だってわかってるでしょうに。
この方は彼のほんの一部の情報だけで言い切っちゃっているけど
よくそれでジャーナリストを名乗ったもんだと個人的に思う。
世間一般的に評価されている部分、或は一番露出した部分に対して
この人が何を感じたかは自由ですが
まだ世間が評価出来ていない部分(中~後期作品)にこそ
この暗い日本でなんとかやっていける何かがあるのを全くご存じない様子。
確かに初期の作品達はある種の輝きがあっても
今の時代にそぐわない部分は多いかもしれません。
それでも老若男女問わず、彼の歌に心打たれる人は確実にいらっしゃいます。
後期の作品を歌う彼は決して反抗的な青年ではなく
一人の男、一人のビジネスマン、一人の父親、一人の人間です。
そこに触れないまま彼を再評価に値せず、と言い切るその度胸…対したもんです。
ご褒美にあなたの名前になぞって
冷泉、いや冷水をぶっかけて差し上げましょう!
因に彼は「大人」に反抗した訳ではなく「矛盾」や「不条理」等と戦ってたんですよ。
あぁあと「愛」を求めていた事もお忘れなく(笑)

イラストは雑誌「ぴあ」2004.1.26
尾崎豊大特集~天国の尾崎へ届きますように 及川正通 画

鏡に映したよう(笑)

2011-12-04
先月11月29日が故尾崎豊の誕生日だったこともあって

何かと彼を意識する事がまだある。
そんなおり、たまたま入ったリサイクルショップでこんなものを見つけた。

こ、これは…

なんか笑えた。
尾崎繋がりでこんなことが…w

1129

2011-11-29

ほら君が大阪に来たとき
深夜に食べたがっていたタコ焼きだよ(笑)
こんな時間でもあるんだよ…

HAPPY BIRTHDAY TO YOU

たこやきで…

2011-11-04
昨日、深夜残業しているときに、

営業の担当者が気を利かせてくれてたこやきを差し入れしてくれた。
夕食もとらずに頑張っていたので
それはそれはとても美味しく感じられ
あっという間にたいらげてしまったのだけれど^^
普段、たこやきを食べても全然思い浮かばなかったのだけれど
ふっとあることを思い出した。
1991年、尾崎豊は全国ツアーを行っていて、もちろん大阪にも来た。
細かい事は省くけど、機嫌の悪かった彼は深夜にも関わらず
スタッフにたこやきを買って来いと命じた。
けれど土地勘の無い若いスタッフは困り果ててしまったそうで
彼がたこ焼きを口に出来たかどうかまではわからないけれど
そのスタッフは辞めてしまった、というエピソードがある。
かわいそうな尾崎とスタッフ君。
ミナミにはね、深夜でもおいしいたこやきを売っている店は
結構あるんだよ。残念だったねぇ…
満腹になったおかげで急に睡魔が襲って来た頭で
ぼんやりとそんな事を考えながら残りの仕事を片付けたんだ。

ローリングストーン誌/日本版/2011年7月号

2011-06-15

書店でRS誌を立ち読みした。

この雑誌に尾崎が特集される事は
田島さんのツイッターで知っていて、多少の興味はあった。
シゲキックスさんからも情報提供があった。
尾崎の没後、多くの関連書籍が出版され、その殆どに目を通して来たけれど、
そのせいで逆に彼に対するある種の関心が薄れて来たように思う。
そこの新しい発見が見いだせなかったから、というのもあるし、
書き手の視線が…というのもあったのかもしれない。
今回の特集も例に漏れず、購買意欲に結びつかなかった。
脳科学者の「尾崎論」を読んだ所で、彼のマスターベーションを見せられた様な気持ちになるだけだ。
これなら尾崎豊板での鴇田氏の話を読んだ方が精神衛生上かなりいい。
尾崎本人がいない以上、当事者の言葉以外、何が心に響くのか…
尤も、論は論として尊重されるべきだとは思うので、
先の脳科学者を非難するものでは決して無い。
息子の裕哉君に関しては、まぁ頑張って欲しいと。
しっかりしてそうだし。
ざっくりと読んで、本を書棚に戻す。
結局印象に残ったのは…
須藤Pの写真が「笑ぅせぇるすまん」の喪黒福造にしか見えなかった事(笑)
あぁ、あと田島さんが言っていた「制約」の一つは
カバー写真の「笑顔」だったんでしょうね。
初期の制約は、
モノクローム、顔をハッキリ映さない、尾崎をOZAKIと記号化…
いろいろあったなぁ。

なんで?

2011-05-18
田島さんのツイートより

Last Weekend ツアーの仕事はまだまだやることがたくさん。そんななか、久々にOZAKIに関する仕事。ということでロザーナを聴く。20年前が思い出され心が揺さぶられる。

当時、ロザーナのプロモーションでは、野沢菜を配っていたような…。



野沢菜?
のざわな…ノザワナ…ノザーナ…ロザーナ

ま、まさか(笑)