十七回忌記念

2008-04-23

http://u-maker.com/101178.html

↑尾崎豊占いっす。

なぜか「野菜が不足しがちなので多く摂るように心がけましょう」と言われる。
妙に鋭いなw

???

2008-04-21

映画「うた魂♪」の評判がいいらしい。

ま、そんなことはど-でもいいが
そのイベントでガレッジセール・ゴリらが扮する合唱部員が
「15の夜」を歌ったそうだ。

尾崎で合唱?
ありえねー(笑

みんなで歌うってことに異論を唱えるつもりは無いけど
パート決めて歌うような性質のモンじゃ無いような気がするんだけど
それって俺だけ?

まぁ、それもいい。
ドラマにせよ映画にせよ尾崎の歌がまともに使われた試しは無い(関係者の方スイマセンw)

ただ、俺が真っ先に目がいったのは↑の写真。

コレって…
あのベスト盤のジャケ写じゃねーか?
それも「15の夜」が入っていない方w

販売戦略っちゃあそーなんだけど
あざとらしい感じが鼻につくんだよなー。

http://www.excite.co.jp/News/entertainment/20080421061209/Sponichi_kfuln20080421006004.html

ええと…

2008-03-22

Wednesday love song best of yutaka ozaki

     1. I LOVE YOU
     2. OH MY LITTLE GIRL
     3. 僕が僕であるために
     4. ダンスホール
     5. 群衆の中の猫
     6. シェリー
     7. FORGET-ME-NOT
     8. ドーナツ・ショップ
     9. 街路樹
    10. 街角の風の中
    11. 太陽の破片
    12. 虹

    BONUS TRACK
    シェリー
    THE LAST LIVE AT YOYOGI OLYMPICPOOL ON OCTORBER 30TH 1991

Saturday rock'n'roll best of yutaka ozaki

     1. 街の風景
     2. 15の夜
     3. 十七歳の地図
     4. SCRAMBLING ROCK'N'ROLL
     5. 卒業
     6. 路上のルール
     7. FREEZE MOON
     8. DRIVING ALL NIGHT
     9. 永遠の胸
    10. FIRE
    11. 誕生
    12. 闇の告白

    BONUS TRACK
    15の夜
    THE FIRST LIVE AT SHINJUKU RUIDO ON MARCH 15TH 1984

何てちっぽけで 何て意味のない 何て無力な
リクエストベスト

OZAKI fes. 2008~僕らの中のロックンロール~

2008-02-23

尾崎が亡くなってからそのやり場の無い気持ちをいろんなパワーに変えた人は数多い。
ギターを持ち歌い始めたヤツ
詩を書き始めたヤツ
誤解を恐れずに言うと、尾崎フォロワーが一気に増えた。
そのことにケチをつけるつもりなんか全然ない。
どちらかと言うと俺もその中の一人みたいなもんだ。

私設ファンクラブも当時は凄い数が存在した。
「彼」そのものをどう捉えたらいいのか、を考えたり
「コピーバンド」を集めライブやって盛り上がったり
手作りのミニコミ誌作りに情熱を傾けたり…と様々だったけど、
みんな「生きる」ことに向き合っていたような気がする。

俺もとある私設F.Cに籍を置いて
イベントの撮影やミニコミ作りやステージに上がったりしていた。
けれど、5年も過ぎると周りで活動している所は殆ど消えていて
俺がいた所も消滅しかかっていた。

そんな中、途切れる事無く地道に走り続けていた奴等がいた。
いろんなイベントを通して知り合った、大切な仲間だ。

625DAYS c.t.v.のN君は「625days film」のVTR化の為の署名活動を行いソニーの背中を押した。
書籍「尾崎豊の残した言葉」はN君の働きが無かったら世に出ていなかったはずだ。

Klaxon、Klaxon Friendly、Smile & Yeah!、Freeze Moon…
それぞれの団体の中心メンバーも凄かったけど
NEW KIDSのH君は活発に動いていた私設F.Cなら知らない人はいないぐらいで、
私設F.C間の橋渡しをよくやっていた。俺たちもよく世話になった。若いくせに相談役w

そのH君がこの春にイベントを行う。
未だ衰えない熱い気持ちを感じてやって欲しい。

OZAKI fes. 2008~僕らの中のロックンロール~
http://choco2.jp/i.php?id=OZAKIfes

OZAKI doesn't move again.

2008-02-21

アートディレクター、デザイナー、フォトグラファーとして、
いや、そればかりか映像作家、作家としても評価の高い田島照久氏。
彼が尾崎と出会わなかったら
ひょっとしたら俺は尾崎をどこまで好きになっただろう。

6pieces of storyのパッケージ
卒業、Driving all nightの12インチシングルのジャケット
そしてサードアルバムのジャケットや販促ツール…
デザインの専門学校に通っていた俺にとってそのどれもが刺激的だった。
表現者の尾崎とその姿を表現する田島さんの両方にのめり込んで行ったのは言うまでもない。
俺は尾崎になりたかったし、田島さんにもなりたかった。

尾崎のデビュー前、彼を担当する事になった当時ディレクターの須藤氏は
レコーディングミュージシャンを親交のあった佐野元春や浜田省吾のバンドメンバーを起用し
そしてデザイナーについても浜田省吾を手がけていた田島氏に白羽の矢を立てる。
ソニーのハウスデザイナーを突然辞め、フリーになって4年後の事だ。

田島さんと尾崎のエピソードは「COVER'S EDGE」「FREEZE MOON」「OZAKIのクラクション」などで読む事が出来る。
田島さんが表現したかった尾崎は、尾崎が表現したかった自分自身とそう遠くはなかったようで
他の人の意見はともかく、田島さんの手によって記号化されたOZAKIは格好良かった、と思う。
かくして尾崎は走り出した。

尾崎がNYへ行き活動を休止していた間、当時のファンはやきもきしていた(はずだ)。
ただでさえ媒体への露出がなく、今のようにインターネットがあった訳でもない。
尾崎に関する情報を入手するのは困難で、
「GB」「PATI-PATI」「シンプジャーナル」といった音楽誌に
ちょこっと載った僅かな記事を読むしか無かった。

そんな頃に、ようやくというかやっと掲載されたのが写真↑の告知だ。

「OZAKI MOVES AGAIN」

尾崎が再び動き出す。ファンを何よりも喜ばせるコピーだと思う。語呂もいい。
実はこのコピーは田島さんの作で、伝説のイベント「BEAT CHILD」もそうだ。
そしてその言葉通り尾崎は再び歌い始めた。

1988年、アップル社のパソコンMacintosh IIの発売を機に
田島さんはコンピュータ・システムを導入し、いち早くデジタルデザインに取り組む。
まだDTPという言葉も生まれていなかったと思う。
その後尾崎が自分の事務所を持った時に
田島さんと同じコンピュータ・システムを組んだというのはいかにも尾崎らしい(笑

さて、前フリが随分長くなってしまった。

1992.4.25、尾崎はこの世を去った。

以降、これまで様々なアイテムがリリースされてきた。
書籍、写真集、音源、映像…それはそれでいい。
だけど、年を追うごとに中身が陳腐化してきている事は否めない。

確かに未発表作品が多くある訳ではないし、故人に新作は作れない。
ただ売り手というか仕掛人のよこしまな魂胆が鼻についてきた。
「どれだけ言葉費やし君に話し」ても、だ。

この春にはまた?なベスト盤がリリースされる。
17回忌という冠をつけて。

違うんだよ。俺たちの求めているものはそんなもんじゃないんだ。

いつか、本当に話の分かるプロデューサーに
ちゃんとしたものをリリースして欲しい。
そしてその告知には「OZAKI MOVES AGAIN」と入れて欲しい。

以前みたいに再び尾崎が動き出すように。

それまでは…

届きました!

2008-02-02

仕事から帰るとオネーサンが送ってくれたフリーペーパーが届いていた。

オネーサンは居酒屋ゆたかスレッドで常連になってくれたありがたい人で本当に呑んで歌って書込んでくれていた。

何気ない会話の中で
俺は勝手に彼女に「米軍キャンプ」のイメージを重ねていた。

いつかの約束もまだ果たせていないのに
こうして気遣ってくれて本当に嬉しく思う。

同封されたメッセージに自らを「そのスジではちょっとは名の知れた…」と語るあなた。

ひょっとしてオネーサンと呼んでいたけど
これからは「姐さん」とお呼びしたほうがよろしいでしょうかねw

本当ありがと。

なんだかなぁ

2008-01-31

もう随分と長い間、「尾崎豊」を検索して情報収集する、という行為をしていない。
流石にもう出てこない、とか、あってもくだらない憶測だったりするからだ。

しかし別の事で検索していても「尾崎」という記号が勝手に目に飛び込んできてしまう。
新聞や雑誌、テレビやラジオ、あらゆるメディアにでてくる「尾崎」に反応してしまうのは
もはや職業病なのかもしれない。

そしてまた「尾崎」を見つけてしまった。

大友康平「尾崎豊さんの気持ち分かった」
http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20071206-291869.html

 ロックバンド、ハウンドドッグの大友康平(51)が、前事務所からコンサート出演義務違反による債務不履行などで3214万円の損害賠償を求められている民事訴訟の口頭弁論が5日、東京地裁で行われ、大友が証人として出廷した。大友は独立の経緯とメンバーと別れた理由を初めて明かし「同じように独立しようとして(前事務所に)振り回された尾崎豊さんの気持ちが分かった」と、切々と訴えた。
 スーツ姿の大友は、初めてメンバーと別れた経緯を法廷で告白した。大友によると04年8月末、個人活動のための事務所を設立しようと前事務所に相談した。だが、福田信会長が「ハウンドドッグはお荷物だ。あと1年ぐらいしか給料は払えない」と言ったという。

(中略)

 前事務所が訴えている、05年7月9日以降のコンサート16本をキャンセルしたことについては「正式には決まっていなかった」。また、前事務所を通さずに企業イベントに参加したことについても「社長は了承していたと認識している」と反論した。前事務所から提訴されたことを報道で知ったと明かし「私もメンバーも会長に振り回され、同じように独立した尾崎豊さんの気持ちが分かりました」。尾崎が独立した際も同事務所ともめたことを引き合いに出した。

ハウンドドッグがなにやらきな臭い事になっているというのは知っていたけど
メンバー間の不信感はどこにでもある話だ。
事務所との対立もそうだろう。

でも事務所の姿勢というか体制にも問題はあるんだろうな。
尾崎が釈放された時もそうだったみたいだし。

今、マザー(グループも含む)の所属アーティストで頑張っているヤツってどれほどいるんだろう。
みんな潰されちゃっているんじゃないか?
80年代は最強の事務所だったのにねぇ。
ドッグを筆頭にルック、ストリート・スライダーズ、レッド・ウォリアーズ、ザ・ハーツ…

なんだかなぁ…

もうええやんか…

2008-01-31

ある意味、哀しいお知らせだ。

「尾崎豊さん 初リクエストベスト盤登場」
http://excite.co.jp/News/entertainment/20080131061203/Sponichi_kfuln20080131006002.html

せめて全ての楽曲がライヴ音源を使用するのならいいのだけれど…
なんだか尾崎の歌もコンビニ弁当みたいになっちまったのか、という気がしてならない。
田島さんのグラフィックワークは気になるけど…

…例のフリーペーパーも前フリだったりするのかねぇ

しーちゃん、ありがと。

2008-01-21

数日前、会社のしずえちゃんが「尾崎さんの歌で何が好き?」と聞いてきた。

はて?
なんで彼女はそんな事を知りたがっているんだろう。
全部好きなんですけど…
そう答えると彼女はちょっと困った顔をして
「3曲に絞って」

理由を聞いても答えてくれなかったけど
とりあえず好きな3曲をピックアップしてみた。
「路上のルール」「米軍キャンプ」「理由」
なぜか一番好きかもしれない「Driving All Night」は外していた。
曲名を紙に書いて手渡すと
彼女は嬉しそうに小走りで帰っていた。

そして、今さっき。
彼女が俺に1枚のCD-Rを差し出した。
「ちょっと早いバレンタインねw」

ん?

ひょっとしてコレってカラオケを録音したもの?

以前に某演歌歌手のCDジャケットを作った事があったんだけど、
それはしずえちゃんが懇意にしているある音楽スタジオからの依頼だった。
ただ、俺が直接仕事を受けた窓口は彼女だったので
無償で制作を請け負う事にした。
その仕事は先方さんにもかなり気に入ってもらえたようで
彼女の顔を潰さずに済んでよかった。

で、去年に一度そのスタジをに二人で行ってレコーディングしようとか言ってたんだけど
俺のスケジュールの都合でポシャってしまった。

そのとき吹き込もうとしたのは別の曲だったんだけど、
かわりに彼女は俺の好きな曲をスタジオに頼んで、曲だけをCD-Rに落としてもらったようだ。
チョコを食べない俺のためにわざわざそこまでしてくれるなんて…

さて、早速帰りの車の中でシャウトしますかw

Happy Birthday!

2007-11-29

尾崎の誕生日。
特別な事は何もしていないけど
静かに彼を偲んでいる。

初めて彼の歌を聴いていろんな事が動き出した。
仲間とバンドを組んでギターを弾いた。
夢中で写真を撮った。
仲間と語って夜を明かした。
日常の些細な破片を詩にした。

全ては彼に近付くために。
全ては彼を追い越すために。

なぁ、俺はまだ君の背中しか見えてないよ。