幻の少年

2007-11-13

アートディレクター、デザイナー、フォトグラファーの田島氏の作品が好きだ。
彼の作るパッケージデザインや装丁も好きなのだが、
特に好きなのが彼の文章とドローイングだ。

彼の文章は目線は読者がまるでカメラのファインダーを覗いたような錯覚に陥る感じがする。
淡々としていて正確でそして優しい。
彼の文章に触れたい人は「ozakiのクラクション」「cover's edge」等で読む事ができる。

彼のドローイングを初めて見たのは浜田省吾のアルバム「DOWN BY THE MAINSTREET」。
車から降りようとする省吾の一瞬を写真ではなくドローイングで表現している。
実はこの手の(ドローイングとしての)表現方法は決して新しいものではなく
かつてアメリカでは最もポピュラーなものだった。
それを80年代に持ってきたのはなぜだったのか…
いや、それを語るのは別の機会にしよう。

とにかく彼のドローイングが素晴らしくて、
いつか彼に尾崎のドローイングを描いてもらいたいと思っていた。

その後念願が叶っていくつかの尾崎のドローイングを見る事ができたが
正直、その出来映えというか筆のタッチが俺にとってはイマイチだった。
だからこの「幻の少年」のカバーに使われたドローイングを見た時は
思わず「これだっ」と口にしそうになった。

写真が発明されてから絵画の存在理由が問われた事があった。
先人が既に言っているので俺が言う事ではないけれど
比較すること自体ナンセンスなんだろう。

ともかくこのドローイングになにかを感じて欲しい。

藤沢さんの文はいい

2007-09-13

ふ と 思 い 出 し た 、 あ る 風 景

『僕の歌は、まだ、本当に伝えたい人に伝わっていないんじゃないかって思うんです』

彼がそんな話をしたのは、名古屋から東京に向かう新幹線の中だった。
あの時は確か彼は、東海ラジオの番組『誰かのクラクション』の録音で名古屋にいて、
私はやはり東海ラジオの『ロックンロール宣言』の録りで同じ場所にいた。

偶然、そこで会って、じゃ、いっしょに帰ろうということになって、
彼のマネージャーのSくんといっしょに名古屋駅の東京方面行きのホームまで来た。
ところが突然Sくんが、

『オザキ、明日、仕事ないよね。俺さ、このまま広島行っていいかな。ちょっと気になっ
てさ。今のうちに修復しておかないと』

Sくんは広島出身だった。1年前に上京して尾崎のマネージャーになった。
尾崎とは同い年の当時19歳。 遠距離恋愛中だった。東京と広島の間は遠い。
ましてマネージャー業に定休日や規定勤務時間はほとんどない。
年中24時間営業に近い。 会う時間はほとんどなく1年経っていた。修復とはその彼女のことだった。
そんな事情を知っている尾崎は、

『そうだよ。行ってこいよ。俺は東京へ帰るだけなんだから、もう仕事はここで終わり。
早く、行けよ』

『ホントにいい?』

『もち。 シャチョーには内緒だろ? 分かってる分かってる』

私たちは、隣のホームに駆けていくSくんをニコニコと見送り、
東京行きの新幹線に乗った。もちろん普通車両に。平日の夜の新幹線はけっこう空いていた。
ほとんどが大阪、名古屋の日帰り出張のサラリーマン。
10分もすると寝る体制に入り、車内はただただ列車の音だけが響いていた。
東京までの2時間、私たちはなぜかずっとしゃべりっ放しだった。

彼は、アルバム『回帰線』ができたばかりだったせいもあって、けっこうハイな状態だった。
どんな言葉を交わしたのか、今はほとんど思い出せないけれど、
車内販売の1杯のコーヒーとアイスクリームでずっと話していた。
今の音楽業界のこと。彼の立場のこと。ファンのこと。話に結論などなかった。
いきつくところは、音楽っていったい何なのだろう、という疑問だったような気がする。
何だか話しながらふたりとも、とても純粋な会話をしているような気になっていた。
その列車が新大阪を過ぎ、まもなく東京というときに、彼は冒頭のことばを口にしたのだった。

初めてニューヨークに行って、感じたこともあってか、
誰にどんな形で伝えたいのかしきりと考えていた。
そのとき、彼から『コヤニスカッティ』という一本の映画を紹介された。
ビデオやレーザーとしても発売されているこの映画を彼はニューヨークで買ってきた。
フランシス・フォード・コッポラ監督が作ったこの映像、はるかな年月が地上に刻んだ
荒野の地表の裂け目や赤茶けた岩、こまおとしで流れる雲などが冒頭に展開する。
そあいて唐突にパイプラインや電線、ガスタンク、ダムへと移り、
都会を行き交う人の流れがやはり駒尾崎豊として流れる。
古ビルの爆発の瞬間、何列にも並ぶ戦車、投下されるミサイルなど、
ただひたすら人類の作った非科学的な物質を、人や自然との往来のなかで延々と見せていた。

『この映像に新しいアルバムの曲を重ねて見ると、合うんです。前のアルバムだと合わないのに』

彼はそういっていた。

私はこの映像を彼が当時住んでいた下北沢の部屋で見せてもらった。 
あとにも先にも彼の部屋におじゃましたのはこのときだけだった。2LDKの広い部屋。
ひとつは仕事部屋になっていて、ギターやキーボード類が並んでいた。
生活の見える部屋で見た『コヤニスカッティ』の映像と『回帰線』が妙に合っていて、
何か駆られるものがあったのを覚えている。
私は、翌日、さっそく『コヤニスカッティ』を買った。
そして彼からダビングしてもらった『回帰線』のテープを流しながらひとりで見た。

彼女に会いに走っていったSくんのこと、
人が冒した過ちを人として歌を通して償っていけないものかと
思っているにちがいない尾崎くんのこと、
自分の仕事のあり方のこと
いろんなことが交錯していた。

『コヤニスカッティ』とは、インディアンの言葉で
"バランスを失った世界"という意味を持っているそうだ。

text by 藤沢映子 Birthday Special パンフレットより

使い道がない

2007-08-21

M3とE.O.Sの会員証。
いつまでもっているんやろ。

何かの証になるのかな。

発売1週間前

2007-08-18

あぁ、これですか…遺品切り刻み(注…尾崎豊が実際に身につけていたシャツの切れ端をデザインプレートにパウチ封入)写真集って。喜ぶマニアがいるのはわかるけど、それって単にコレクターズ・アイテムとしてしか見てないんだろうな。本当に好きな奴とか昔からのファンには違った意味で堪らない気持ちになってしまう。大体、こんな付加価値は写真家にとって迷惑でしかないと思うのだが。ひょっとして「これで少しでも売れてくれれば…」なのだろうか。いや、それは利権に群がる人達だけの声だと信じたいものだ。

休日出勤終了!

2007-07-29

あー疲れた。

先日「625」を観た、と書いた。
板では大阪の完全版を望む声が多いが、
ある意味、俺は「625」があるからいいんじゃないか、とも思う。

どんなものになるかわからないけど
尾崎の成長していく様を撮りためていく。
どんなに小さな出来事も
どんなに大きな出来事も
それはただの通過点に過ぎない。
主人公がこの世を去ってはじめて
どんなに小さな出来事も
どんなに大きな出来事も
意味を持つことになるのだろう。

そう言った意味では佐藤輝が尾崎の死後にこのフィルムの編集をしたら
もっと違う物になっただろう。
ひょっとしてもっと売れたかも知れない。

ただ、もしそんなことがあり得るのなら
きっと作為的な匂いのする
(俺にとって)気持ちの悪いものになっているかも知れない。

「625」は佐藤輝にとって「作品」かもしれないけど
「625」は俺にとって「尾崎の記録の断片」であってほしい。
そんな18万4千250人分の想いが集まって生まれたものだから…

なんか意味不明の文章だな、こりゃ。
ま、でもいいのだ。

因みにこの画像は
「625」の署名活動に加わってくれた一部のファンに
配布されたカードに載ったもの。

625

2007-07-25

久しぶりに動く尾崎を観た。
なんだかあの頃に戻りたくなる。

大阪球場まで自転車で行った。
金も無かったからグッズは何一つ買えなかったけど
その分しっかり目に焼き付けた。
帰り道は凄くハイになって自転車を飛ばした。
胸のドキドキを誰かに伝えたくて仕方なかった。
途中、電話ボックスに駆け込んで
バイト先の先輩に一方的にまくし立てた事を今も覚えている。

あの時の情熱のようなものは無いのかも知れないけど
もう一度どうにかしたいなぁ。

最近知ったこと

2007-06-27

女優の寺島しのぶさん…俺の中では「女」をすごく演じる人という印象がある。
その彼女が実は青学在学中は尾崎の後輩にあたるという。

尾崎から見たら7歳下の学年なので接点は無いかも知れないが、
彼女が当時所属していたハンドボール部の部室に
尾崎のサインが飾ってあったらしい。

後年、彼女は映画「やわらかい生活」(2006年)で
尾崎の「ダンスホール」をフルコーラスで歌った。

このエピソードはTBSラジオ「あの人の物語」で
2006年6月12日にO.A.された。
因みに2005年の4月25日にはキャイーンの天野君が尾崎のことを語っている。

regrettable result

2007-05-28

予定していたステージをキャンセルしたとき
彼はどんな想いだったのだろう

骨折したとき…
体調不良だったとき…

それまで一生懸命曲を作り
リハを重ね
確かな手応えを掴もうとする
その一瞬前に倒れ込んでしまい意識を失った…

勿論今回の事と彼を比較するつもりはないけれど
やっぱりみんなと会いたかった…

きっちりリベンジしてやる

おまけ

2007-05-15

将来デザイン方面へ進みたいというバイトちゃんに
それだったら「作ってみ」と課題を出した。

制約は何もない状態で、好きなように作ってもらいました。
部活で忙しいのによくがんばったねぇ(その分勉強してねーだろーけどw)

OSAKA OFF MEETING 6 ポスター完成!

2007-05-15

さて、いよいよ大阪初夏オフ開催ということだが…
どんなことになるやら…w

楽しみですな。