無題

2007-08-08

何を夢見ていたのか
自分の大声で目が覚めた。
喉と口の中が
カラカラに渇いていた。

こんな時にこそ
君と喋りたいのに
きっと君は
安らかな夢の中

chronicle 1966-1978 2

2007-08-03

2

小学校に上がった頃、僕は眼鏡をかける様になった。強度の近視と内斜視だった。その事で同級生達にはよくからかわれた。父親はあの人の血筋の遺伝だと言っていた。僕にはその事の方が辛かった。どんなに離れていてもあの人と切れる事はない、あの人の血が僕の中を流れている事がたまらなく嫌だった。だからどんなに悪い事をしても、僕は悪くない、みんなあの人の血のせいだと思い込んだ。父親は日毎に増す疲れを露にしてきた。段々と生意気になっていく僕を持て余している様だった。家政婦は些細な事で父親と口論になり、とうの昔に辞めていた。僕はまた独りで過ごす事が多くなっていた。

この頃僕に友達と呼べる人はあまりいなかった。学校から帰ると殆ど外にも出ずに絵ばかり描いていた。父親の仕事が看板描きだった事もあり、その手の材料は幾らでもあった。次々とあふれ出る空想上のキャラクターは僕を飽きさせなかった。

年齢が上がるとともに自我が芽生えてくる。それは誰しも同じ事なのだが、僕の場合、かなり自己主張が激しかった様だ。一般的に何かにつけ自分自身をアピールすると誰もが疎ましがり、結果、孤立してしまう。その孤立を何よりも恐れていた僕にとって、それだけは絶対してはならない事だった。自分自身をコントロールする。この膨大なエネルギーを要する作業をするのには僕はあまりにも幼過ぎた。学校で良い子を演じていた僕が壊れるのは時間の問題だった。教師も父親もその事に全く気付かなかった。誰も何も言わなかった。僕は本を何度か万引きした。何の本だったかはもう覚えていない。ただ撲はスリルを求めていた訳でなく、生きている実感を求めていた訳でもなくて、バランスを失った心を平常にしたかっただけなのだ。それが出来るなら犯罪でなくても何でも良かったのだ。善悪の判断が付いていない子供が安易に走ってしまった方向がたまたま犯罪だったのだ。酸素ボンベもつけずに水の中に長時間いればどうなるだろう。そのまま溺れてしまうか、もがいてでも水面を目指そうとするだろう。それだけの事である。教師も父親もその事に全く気付かなかった。誰も何も言わなかった。

父親は毎日仕事に出たが、毎日浴びる程酒を飲んでいた。30代半ばと言う事もありその量は本当に半端ではなかった。外で飲む事も決して少なくはなく、その度に深夜になると店の女から迎えに来る様にと電話が掛かった。体は大きかった僕は泥酔した父親をおぶって帰った。父親は僕の背中の上で、おまえが赤ん坊の時は本当にかわいかったんだ、と何度も繰り返した。親にしてみれば子供は幾つになっても子供でしかないのだが、幾つになっても子供扱いしかしない事と、後ろばかりを向く様になった父親が嫌になっていた。しかし父親もまたバランスを失った心を平常にしたかっただけなのだ。あの人が出ていったのもそんな理由だったのかもしれない。誰のせいでもない。僕は街灯に照らされた家路を必死になって歩いた。背中の重さが自分達の不幸の重さなんだとは決して思いたくはなかった。

とうとう父親も壊れてしまった。飲み屋の客と喧嘩をして相手に怪我を負わせた。父親も無傷ではなかったのだが、相手の方がひどい有り様で、父親だけがその晩留置場泊まりとなった。明くる日になっても父親は帰ってこなかった。不安になって助けを求めた僕に親類の者は「心配するな。すぐに行く。」と言ったが、いつまで待っても彼等は来なかった。面倒な事は誰だってごめんだ。恨む気持ちはない。もう誰も信じられない。誰にも頼れない。僕は決して泣かなかった。

クラスメートにヒロコという女の子がいた。彼女とは1年生、2年生、5年生、そして6年生の4年間同じクラスだったが、喋った事は殆どなかった。ただそれは僕に限った事ではなく、彼女は誰からも相手にされず、毎日毎日些細な事で彼女に災難が降りかかった。彼女の学校生活は耐える事でその大半を費やしていた、と思う。僕は彼女がいじめられていた事に少し心を痛めていた。何故彼女は毎日あんなにいじめられなければならないのだろう。日々エスカレートする悪質な出来事に己を殺すことでしか自身を守れないなんてあまりに哀しすぎる。けれど同じ様な痛みを知る者だとしても、自分自身を守る事で精一杯だった僕はただ目を逸らす他無かった。君には授業やクラブ活動から解放されれば優しく包んでくれる両親がいるじゃないか。心の中でそう叫ぶ僕がとても汚く思えた。

父親の酒量は増える一方だったが、暴れる訳でもなく、呑んではため息をつくの繰り返しで、時折「勉強はしているのか」と言う程度で、まるで僕に関心がないかのように細かいことは言わなかった。澱んだ川の流れのような暮らしが続いていた。あの人がいない暮らしに慣れた、というか、最初からこういう暮らしだったんじゃないかとさえ思いだしていた。僕は父親の顔色を伺うことは充分判っていたし、このまま父親と二人きりでも生活していくものだと思っていた。

無題

2007-07-11

一日の出来事を記すことは容易くても
一日の心の推移を記すことは容易ではない
ましてこの胸の内を晒したところで
一体何が変わるというのか
誰かの同情を乞いながら過ごしたところで
満足出来る筈もない
それでも
君の声が聞きたくて
君の手に触れたくて
夜の海を彷徨ってしまう
朝が来るまで探してしまう
君との僅かなやりとりを糧に暮らしを継続させる程
ひ弱になった精神を
早く捨て去ってしまいたい

clips

2007-07-03

些細なことでさえ心痛めてしまう
それを弱さだと思いこまないで
君のやわらかな想いは
誰かを優しくつつんでいるのだから
さぁゆっくりおやすみ
明日は違う日だよ

無題

2007-06-13

人知れず流した君の涙を拭ってやることも出来ないのに
明日の為の僅かな睡眠時間を確保しようとしている
君の頬の乾いた涙の痕を辿って
この手でそっと撫でてあげる
何も考えなくていい
そのまま眠っていればいい
無意識の君が
君自信を癒してくれるはずだ
そして俺も眠ってしまおう
目が覚めるまでの僅かな間
癒されることを願って

clips

2007-05-25

何も解ってない
何も解らない
そりゃそうだ
僕と君は
こんなにも離れている
君の笑顔は見えないし
君は僕の涙を知らない
点と点を結ぶ線を
僕らはまだ見出だせずにいる

Maria 4

2007-04-16

久し振りに“君”を見つけた。ただでさえ寒いこの時期に、ビルの隙間風を独りで受けていた。声をかけると、遠い瞳をして微笑んだ。ポケットに突っ込んでいた手を“君”の頬にあてがうと、冷たい“君”の手が僕の手の上に重なった。そしてまた微かな微笑。僕の手の温もりは“君”を少しだけ満足させた様だ。

“君”が新しい土地へ移った事を知ったのは、珍しくこの街に雪が降った翌日だった。ひどい二日酔いを何とかさまそうと2杯目のコーヒーを飲み終えた頃にマスターがぼそっと言った。「マリアが消えたよ。」雪はもう夜のうちにやんでいて、鈍い陽射しがその殆どを溶かしていた。僅かに残った雪は泥と混じって歩道を汚している。「あの娘もこんな風に汚れただけだったのかね。」嘔吐感が一向に治まらず、僕は会社に電話を掛けて今日は欠勤する事を無愛想な事務員に伝えた。暫くはカウンターにうつ伏せていたが「そんなに酷いのだったら帰って休めば?」と言われ店を出た。トラックがもの凄い勢いで僕の前を通り過ぎた。灰色の空に向かってそっと呟いてみる。「例え汚れただけだとしても“君”の悲しみもこの雪の様にいつか溶けてしまえばいい。」工場のサイレンの音にかき消されても、僕にはもう、どうしようもなかった。

うつ伏せになって眠ると、“君”は決まって心臓に負担がかかる寝方はやめなさいと僕を叱った。“君”と眠る時、腕枕をしていても、“君”が寝静まってから僕はそっとうつ伏せになっていた。“君”がいなくなってからも、僕は変わらずうつ伏せになって眠っている。自分の心臓の音を聞き乍ら眠っている。

END

Maria 3

2007-04-16

久し振りに電話で喋った“君”の声は、少し疲れているのだろう。それでも僕はまた、“君”の言葉に救われた。僕も疲れているのかもしれない。遠くに離れた“君”を想い乍ら、一日の始まりと一日の終わりを強引にすり替えて眠る。

“君”が「貴方ノ誕生日、プレゼント何ガ欲シィ?」と聞いてきた。珍しい事もあるものだ。僕は「欲しい物は皆、高価過ぎて“君”に買って貰う訳にはいかない。」と答えた「ソレナラ、言ウダケ言ッテミテ。」と言うので「1つだけ?」と尋ねると、「幾ラデモドウゾ。」と“君”は肩をすくめる。ギター、カメラ、バイク、マッキントッシュのパソコン・・・僕は調子に乗って、欲しい物をどんどん挙げていった。「あれも欲しい、これも欲しい。」まるで子供だ。これじやあ“君”より始末が悪い。“君”は終いに呆れ果て、「全部手二入レテモ、最期マデ持ッテ行ケナイデショ?」と言う。「あ、そうなんだ。」本当に最期の最期まで持って行けるのは自分の魂だけなんだ。僕は本当に子供だった。「もう何もいらないから、僕が死ぬまで傍にいてくれる?」と恐る恣る尋ねると、“君”はニッコリ笑って小さなキスをくれた。

僕等は似合いのカップルという訳じや無かった。当人同士ちやんと付き合ってるという自覚さえ無かったし“君”には彼氏がいた。ただ何となくいつの問にか出来てしまった心の隙間を、互いに埋め合っていただけだ。けれども、僕が出張で1ケ月程この街を離れたのをきっかけに“君”ともあまり逢わなくなっていった。日々何らかの危機感を感じ乍ら生きていても、その日その日の疲労を紛らわす事で精一杯。“君”の為に何かしてあげようとする気手寺ちさえどこか遠のいてしまう。あの頃より笑わなくなった“君”もまた疲れているのだろう。変わり映えのしないFMのランキングが神経を逆なでする。

Maria 2

2007-04-16

「人ヲ好キニナルノニ、理由モ時間モ関係ナイ。」“君”は誰かの言葉をよく口にしていた。この街に出て来て3人目の彼も何処かのクラブで知り合ったと言っていた。店でも色んな客から冷やかされてばかりだけれど、今“君”は幸福で、誰に何を言われても笑ってばかりいる。ついこの間までしていた包帯も、彼からのプレゼントだという男物のブレスレットに替わっていた。けど、一つだけ質問に答えてくれないか?幸福な女を演じるのは疲れないか?指先のマニキュアが剥がれている所が紫に染まっているのに。本物の愛を探す手間を省く代償がそれだとしたら、淋しい女は何時までも淋しいままでしかない。僕には何も言えないけれど。

心を落ち着かせる為の様々なモノが沢山あって、でもまだそれを必要としている間はきっと人は孤独なんだろうと恩う。例えば100円で買える幸福と、100万円で買える幸福は、本当は等しいものなんだ。でも“君”は非日常的な幸福を手に入れたがる。自分自身は何も変わらないのに。

雑踏の中で片方のイヤリングを落としてしまった事に気付いた“君”は、困った顔をして「一緒ニ探シテ。」と言った。僕等はそれまで歩いて来た道を引き返し、立ち寄った店や、午前中は殆ど誰もいなかった(けれど、もう家族連れがまき散らすゴミで探し様の無い)動物園を行ったり来たりした。誰かからのプレゼントなのか、自分で買ったのかは知らないけれど、結局“君”は仕方が無いと諦めた。僕等はその辺りでお茶を飲み、帰った。それから1ケ月。残された片方のイヤリングを“君”はつける事は無かった。対となって初めて形を成すそれは、もう意味が無いものなのだろうか?ただ言えるのは、その残された片方のイヤリングは、『失くしてしまったもの』と、“君”に諦められてしまった、という事だろう。

Maria 1

2007-04-16

眠れない夜を抱いて、ただ暗閣の中で“君”の面影を探す。たった一分が一時間にも感じてしまう。歪んだ時空の中で発狂寸前の僕。今日一日に蓄積された出来事が“君”をブレさせる。一日を遣り過ごす事だけでも、こんなに疲れるなんて。自分の部屋でさえ、心落ち者く場所ではないなんて。

零細企業が密集しているこの街で、ひっそりオープンした喫茶店に“君”が勤めだしてもう半年になる。“君”の拙い日本語は、様々な土地の訛りが入っていて、“君”が喋るとそれまでに色んな思いをしてきたんだな、と恩う。或る日店が退けた後、珍しく“君”は僕を誘い、陽の落ちかかったバーガーショップに行った。“君”は今一緒に暮らしている男とあまり上手くいっていない、と言い、「昨晩モ喧嘩シタバカリ。」とグチた。そして、ショーパブで踊っていた時の事や、クスリも一通りやっていた事や、両親はもう死んでしまっていて、意見の合わない兄弟のいる祖国の事や、幾ら買っても飽きない貴金属の事や、朝早く起きなければならないのが辛い事を、中途半端に話した。暫くして、タ食の支度があるから、と“君”は席を立ち、油のまわったフライドポテトが散らばったトレイを返しにいった。バイクで“君”を送った時、“君”はずっと僕にしがみついていて、寒さに震え乍ら「アタタカイ。」と言った。過去と現在の事しか話さなかった“君”の笑顔は、いつも愛想笑いしている時の“君”より、ずっと奇麗だった。

僕には解ってしまう、“君”のポーズ。けれども“君”を拒絶する事は出来ない。決して騙されている訳じゃないけれど、互いに愛想笑いを交わし乍ら、これは本心ですよ、とばかりに話しかける。それぞれの帰り遣、“君”は電車の中で、僕は車の中で、言い様の無い疲労に包まれてしまう。次の休日に、再び逢う約束をしてしまった事を少しだけ悔やむ。淋しさが虚像の世界に僕を引っ張っていってしまう。クラッシュするまでそんな事を考えていた。“君”がまた独りになって3ケ月が過ぎていた頃の事だ。