みんな大変だなぁ

2007-04-17

昨日友人が入院したと連絡があった。
詳細には触れないが、検査入院ということで本人はそこそこ元気のようだ。
とはいえ、先週はかなり体調がすぐれなかったとも言っていたので、
入院したついでにしっかり治してきて欲しいものだ。
あと4日間、がんばれ。

今日はのんびりモードで仕事が進められる日。
早く帰れることもあって気が楽だ。
晩酌も楽しみだ。
明日の事は…考えずにおこう(笑

さて、

2007-04-16

なんだか恥ずかしい想いをした事だし…帰ろ(笑

Maria 4

2007-04-16

久し振りに“君”を見つけた。ただでさえ寒いこの時期に、ビルの隙間風を独りで受けていた。声をかけると、遠い瞳をして微笑んだ。ポケットに突っ込んでいた手を“君”の頬にあてがうと、冷たい“君”の手が僕の手の上に重なった。そしてまた微かな微笑。僕の手の温もりは“君”を少しだけ満足させた様だ。

“君”が新しい土地へ移った事を知ったのは、珍しくこの街に雪が降った翌日だった。ひどい二日酔いを何とかさまそうと2杯目のコーヒーを飲み終えた頃にマスターがぼそっと言った。「マリアが消えたよ。」雪はもう夜のうちにやんでいて、鈍い陽射しがその殆どを溶かしていた。僅かに残った雪は泥と混じって歩道を汚している。「あの娘もこんな風に汚れただけだったのかね。」嘔吐感が一向に治まらず、僕は会社に電話を掛けて今日は欠勤する事を無愛想な事務員に伝えた。暫くはカウンターにうつ伏せていたが「そんなに酷いのだったら帰って休めば?」と言われ店を出た。トラックがもの凄い勢いで僕の前を通り過ぎた。灰色の空に向かってそっと呟いてみる。「例え汚れただけだとしても“君”の悲しみもこの雪の様にいつか溶けてしまえばいい。」工場のサイレンの音にかき消されても、僕にはもう、どうしようもなかった。

うつ伏せになって眠ると、“君”は決まって心臓に負担がかかる寝方はやめなさいと僕を叱った。“君”と眠る時、腕枕をしていても、“君”が寝静まってから僕はそっとうつ伏せになっていた。“君”がいなくなってからも、僕は変わらずうつ伏せになって眠っている。自分の心臓の音を聞き乍ら眠っている。

END

Maria 3

2007-04-16

久し振りに電話で喋った“君”の声は、少し疲れているのだろう。それでも僕はまた、“君”の言葉に救われた。僕も疲れているのかもしれない。遠くに離れた“君”を想い乍ら、一日の始まりと一日の終わりを強引にすり替えて眠る。

“君”が「貴方ノ誕生日、プレゼント何ガ欲シィ?」と聞いてきた。珍しい事もあるものだ。僕は「欲しい物は皆、高価過ぎて“君”に買って貰う訳にはいかない。」と答えた「ソレナラ、言ウダケ言ッテミテ。」と言うので「1つだけ?」と尋ねると、「幾ラデモドウゾ。」と“君”は肩をすくめる。ギター、カメラ、バイク、マッキントッシュのパソコン・・・僕は調子に乗って、欲しい物をどんどん挙げていった。「あれも欲しい、これも欲しい。」まるで子供だ。これじやあ“君”より始末が悪い。“君”は終いに呆れ果て、「全部手二入レテモ、最期マデ持ッテ行ケナイデショ?」と言う。「あ、そうなんだ。」本当に最期の最期まで持って行けるのは自分の魂だけなんだ。僕は本当に子供だった。「もう何もいらないから、僕が死ぬまで傍にいてくれる?」と恐る恣る尋ねると、“君”はニッコリ笑って小さなキスをくれた。

僕等は似合いのカップルという訳じや無かった。当人同士ちやんと付き合ってるという自覚さえ無かったし“君”には彼氏がいた。ただ何となくいつの問にか出来てしまった心の隙間を、互いに埋め合っていただけだ。けれども、僕が出張で1ケ月程この街を離れたのをきっかけに“君”ともあまり逢わなくなっていった。日々何らかの危機感を感じ乍ら生きていても、その日その日の疲労を紛らわす事で精一杯。“君”の為に何かしてあげようとする気手寺ちさえどこか遠のいてしまう。あの頃より笑わなくなった“君”もまた疲れているのだろう。変わり映えのしないFMのランキングが神経を逆なでする。

Maria 2

2007-04-16

「人ヲ好キニナルノニ、理由モ時間モ関係ナイ。」“君”は誰かの言葉をよく口にしていた。この街に出て来て3人目の彼も何処かのクラブで知り合ったと言っていた。店でも色んな客から冷やかされてばかりだけれど、今“君”は幸福で、誰に何を言われても笑ってばかりいる。ついこの間までしていた包帯も、彼からのプレゼントだという男物のブレスレットに替わっていた。けど、一つだけ質問に答えてくれないか?幸福な女を演じるのは疲れないか?指先のマニキュアが剥がれている所が紫に染まっているのに。本物の愛を探す手間を省く代償がそれだとしたら、淋しい女は何時までも淋しいままでしかない。僕には何も言えないけれど。

心を落ち着かせる為の様々なモノが沢山あって、でもまだそれを必要としている間はきっと人は孤独なんだろうと恩う。例えば100円で買える幸福と、100万円で買える幸福は、本当は等しいものなんだ。でも“君”は非日常的な幸福を手に入れたがる。自分自身は何も変わらないのに。

雑踏の中で片方のイヤリングを落としてしまった事に気付いた“君”は、困った顔をして「一緒ニ探シテ。」と言った。僕等はそれまで歩いて来た道を引き返し、立ち寄った店や、午前中は殆ど誰もいなかった(けれど、もう家族連れがまき散らすゴミで探し様の無い)動物園を行ったり来たりした。誰かからのプレゼントなのか、自分で買ったのかは知らないけれど、結局“君”は仕方が無いと諦めた。僕等はその辺りでお茶を飲み、帰った。それから1ケ月。残された片方のイヤリングを“君”はつける事は無かった。対となって初めて形を成すそれは、もう意味が無いものなのだろうか?ただ言えるのは、その残された片方のイヤリングは、『失くしてしまったもの』と、“君”に諦められてしまった、という事だろう。

Maria 1

2007-04-16

眠れない夜を抱いて、ただ暗閣の中で“君”の面影を探す。たった一分が一時間にも感じてしまう。歪んだ時空の中で発狂寸前の僕。今日一日に蓄積された出来事が“君”をブレさせる。一日を遣り過ごす事だけでも、こんなに疲れるなんて。自分の部屋でさえ、心落ち者く場所ではないなんて。

零細企業が密集しているこの街で、ひっそりオープンした喫茶店に“君”が勤めだしてもう半年になる。“君”の拙い日本語は、様々な土地の訛りが入っていて、“君”が喋るとそれまでに色んな思いをしてきたんだな、と恩う。或る日店が退けた後、珍しく“君”は僕を誘い、陽の落ちかかったバーガーショップに行った。“君”は今一緒に暮らしている男とあまり上手くいっていない、と言い、「昨晩モ喧嘩シタバカリ。」とグチた。そして、ショーパブで踊っていた時の事や、クスリも一通りやっていた事や、両親はもう死んでしまっていて、意見の合わない兄弟のいる祖国の事や、幾ら買っても飽きない貴金属の事や、朝早く起きなければならないのが辛い事を、中途半端に話した。暫くして、タ食の支度があるから、と“君”は席を立ち、油のまわったフライドポテトが散らばったトレイを返しにいった。バイクで“君”を送った時、“君”はずっと僕にしがみついていて、寒さに震え乍ら「アタタカイ。」と言った。過去と現在の事しか話さなかった“君”の笑顔は、いつも愛想笑いしている時の“君”より、ずっと奇麗だった。

僕には解ってしまう、“君”のポーズ。けれども“君”を拒絶する事は出来ない。決して騙されている訳じゃないけれど、互いに愛想笑いを交わし乍ら、これは本心ですよ、とばかりに話しかける。それぞれの帰り遣、“君”は電車の中で、僕は車の中で、言い様の無い疲労に包まれてしまう。次の休日に、再び逢う約束をしてしまった事を少しだけ悔やむ。淋しさが虚像の世界に僕を引っ張っていってしまう。クラッシュするまでそんな事を考えていた。“君”がまた独りになって3ケ月が過ぎていた頃の事だ。

前書きにかえて

2007-04-16

♪君とよくこの店に来たものさ
訳も無くお茶を飲み話したよ
学生で賑やかなこの店の
片隅で聴いていたボブ・ディラン…
(学生街の喫茶店/作詞・山上路夫)

以前喫茶店の話をしたかもしれないけど、
通勤途中に聴いているFMから喫茶店の話題が流れていたので、
思い出した事を…歌とは全く関係ないけどね(笑

俺が26歳から30歳ぐらいの間に勤めていた会社の近くにある喫茶店。
元々は煙草屋だったのを娘が引き継いだ時に喫茶店にしたらしい。
娘といっても団塊の世代なので華やかさは無かったが…

珈琲と紅茶と昼のランチ。
あまり明るくない店内。
間違っても若い連中は来ない、そんな喫茶店だった。

仕事を終え店に立ち寄ると大抵ビールを出される。
その時入り口の「営業中」という札はひっくりがえしてある。
昼は喫茶店で、夜はスナック、というのはよくあるパターンだが、
その店はあくまでも「純喫茶」なのだ。
営業ではなく、プライベートっていうのが
久美さん(バーでもスナックでもないのでママと呼ばれるのが嫌らしい)の口癖だった。

久美さんは簡単なつまみからちょっとした料理(やきうどんかだし巻きが多かったけど…)も出してもくれるのだけど、勘定は千円を超える事は無かった。
ビール代にもなっていない。
完全な持ち出し。

まぁ、他の客からしっかりとっていたんだろうけど、
喫茶店だから無茶できるはずもなく…
よくあれで成り立っているなと思っていた。

仕事の愚痴も一杯訊いてもらったし、
金がない時も、催促無しのあるとき払いでいいと言ってくれた。
煙草が切れると
「うちは煙草屋だったから煙草は売る程あるんよ」と言いながら
新しいパッケージから1本だけ抜き取り、火をつける。
そして「残りはあんたにあげる」と手渡してくれたりもした。

ああ、そういえば「これ着なさい」って
自由業のオジサンが着るようなセーターをもらったこともあったっけ。

でも、何かをしてくれ、なんて一言も言われなかった。

俺が新しい事務所に移る事になった時、久美さんが初めて俺に注文してきた。
「休みの日に一緒に買い物に行きたい」と。

当日、大阪の中心地にある商業施設で待ち合わせ、ブティックを廻ったり、
靴やハンドバッグ、宝飾類を見て回った。
俺はそうやって振り回されることは覚悟していたけど、
これほど忍耐力と体力がいるとは思わなかった(笑

ランチもそこそこに久美さんは歩き回る。
でも、何も買わなかった。

そろそろ日も暮れようかという頃に
久美さんは俺に「何かプレゼントをしたい」と言い出した。
転職祝いと、その日一日付き合ってくれたお礼がしたいと。

今ならネクタイの1本でも買ってもらっていた方がよかったと思える。

別れ際、「遠慮しなくてもいいのに…」と言った久美さんの声が
やけに切なかった気がしてならない。

この店でいくつかのエピソードが生まれ
俺はそいつらをまとめて「Maria」を書き上げた。
もうとっくにここに載せていたと思っていたけど見つからなかったので
もう一度載せておこうと思う。

このエピソードに久美さんは登場してこないが
俺とMariaのやりとりを優しい目で見ていたんだ。

今日の読書

2007-04-15

もう何度読み返したろう。

もうかなり前の事になるけど
半年間一切の関わりを断っていたことがある。
仕事を辞め、ずっと家に閉じ籠っていた。
昼間は雨戸を閉め切り眠り続け
夜はずっとテレビを眺めていた。
番組が終わり画面が砂嵐になっても眺め続けた。
家族や友人とも言葉を交わさず、ただただ自分と対話しようとしていた。

もう一人の俺はなかなか俺に心を開いてはくれなかった。

今になって思えば
それだけ同じ志を持った人の死は大き過ぎたのだろう。
彼女の早過ぎた死は何を残したのか…

読み返すたびに当時のことが思い出される。

なぁ尾崎、彼女は元気にやってるかい?

遂に来たか…

2007-04-15

大阪市も指定区域での路上喫煙が禁止になる条令が施行された訳で…
今の所まだ見つかってませんけど、
バレたら罰金千円も取られるらしい。

だんだん肩身が狭くなるなぁ。
家か車の中でしか吸えなくなる日もそう遠くは無いな…

いつからか煙草のパッケージに警告分が載るようになったけど、
あれってそんなにキツい口調じゃなかったりしない?
外国は相当酷い事書いてあるらしいよ?
本気でスモーカーを撲滅したいんだろうね。

日本はなんでその辺が甘いのかと言うと、
税金が取れなくなっちゃうのが困るからだそうだ。
あの警告文を作成したのは厚生労働省じゃなく、財務省だとか…

昨夜は…

2007-04-14

久しぶりに同僚の家に泊まった。
旦那さんは厭な顔一つせず迎えてくれる。いー人だw

いつもはただビールや酒を呑んで楽しく語らうのだが
なんだか変に盛り上がっちゃって
ギターとピアニカで昭和歌謡大全集w
夫婦揃って古い歌が大好きで
ま、だいたい今60~70歳ぐらいの人たちの青春の歌やね。

美空ひばりでも「川の流れのように」とかやんないもん。
「ひばりのマドロスさん」とかw

で、当時の若者達には「そんなん常識やん」とか言われそうだが、
歌本の中にいくつも「夢は夜開く」という曲があって
園まり、緑川アコ、ちあきなおみ、藤圭子がそれぞれ歌っている。

なんだ、カバーか…と思う君はまだ若い!w

曲こそ一緒だが歌詞がそれぞれ違ったりするんだな。
いやー知らなかったw
圭子の夢は~とか、なおみの夢は~と言われるのはそのせいやったんやね。

雨が降るから逢えないの
来ないあなたは野暮な人
ぬれてみたいわ二人なら 夢は夜ひらく(園まり)

せっかく咲かせた花だもン
大事にしましょういつまでも
雨に嵐に負けないで 夢は夜開く(緑川アコ)

十五、十六、十七と 
私の人生 暗かった
過去はどんなに 暗くても 夢は夜ひらく(藤圭子)

やっぱ藤圭子はインパクトあるなーw